鮫島等 (さめしま・ひとし)
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1945年、高射砲
日系二世の召集兵は、自分たちの親を2等級の国民としか扱っていない米国に対して無条件の忠誠を求められた。平等に扱われるべきなのに敵の顔をしているという理由で差別する祖国に対して矛盾を感じながらも、等は442部隊への配属を希望。しかし、日本語が話せるという履歴書の記載に目を留めた上官から、ミネソタ州に新設されたフォートスネリングの陸軍の日本語学校に行くように指示された。戦後処理に備えて日本語のできる米国軍人を育成しようと開設されたミネソタ学校からは約6000人(内4500人が日系二世)が卒業した。(MISLS:米国の秘密兵器として日本軍の暗号解読,押収文書の翻訳,捕虜の尋問を通して得た情報は後に「100万人の米兵の生命を救い、戦闘の終結を2年早めた」と、マッカーサー元帥から評価された)教師は日系一世と帰米二世で、日本の歴史や文化,草書の読み書きまでが短期間で厳しく指導された。日本軍の旧式の装備や戦況が手に取るように分かった。父親に「日本は負けるかも…」と言うと、「何を言うか。日本には大和魂がある。勝てないはずはない。」という言葉が返ってきた。
1945年8月、フィリピンのルソン島で日本人捕虜の尋問の任務に就いた。どんな質問にも固く口を閉ざし戦争が終わったことすら認めようとしない日本海軍の水兵に対し、等は藁にもすがる思いで「♪あなたと呼べば、あなたと答える…」と、仏教青年会の芝居で聞き覚えていた歌謡曲を口ずさみ、やっと日本兵捕虜の心を開くことができた。その兵士は、等の次の赴任地・東京の様子を懐かしそうに語り始めた。等は東京大空襲の状況を知っていたが、故郷の美しさをとうとうと語る彼になにも明かせなかった。