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アケミ・キクムラ=ヤノ ~ ミクロとマクロの視点で日系人史を再構築する人類学者-その4

>>その3

「もし日本にいたら・・・」1世女性たちの人生

キクムラは、母以外の1世女性からも聞き書きを行っている。それをまとめたのが『Mukashi Banashi: stories of the past from Issei Women in Fowler, California(昔話-カリフォルニア州、ファウラーの1世女性たちの物語)』で、『Promises Kept』でも、最終章にこのときの話が引用されている。

1981年の夏、彼女はカリフォルニア州フレズノのファウラーという小さな農村で調査を行った。ファウラーを選んだのは、この地が日本人が農業のために移住した最初の村の一つだったからである。1900年以前には、17人の1世男性しかいなかった日本人が、20世紀になると急激に増え、ファウラーは農業を営む日系社会有数のコミュニティになった。

彼女が聞き取りを行ったのは、1911年から23年にかけてこの地に移住した7人の1世女性で、年齢は76歳から89歳。1世の聞き取り調査を行うにはこの時期を逸しては無理だっただろう。7人のうち、5人は日本で結婚して渡米したが、2人はいわゆる写真花嫁で、写真での「お見合い」だけで、日本からアメリカに呼び寄せられた女性である。

写真花嫁で渡米したら、相手は自分よりもずっと年上で、年齢差を隠すために老け顔にしたり、地味な服を着るようにしたという話にはじまり、さまざまな苦労が彼女たちの口から語られる。想像以上に過酷なアメリカの生活環境、日本人社会と中国人社会との確執、移住初期の強い孤独感と望郷の念、博打に興じる男たち、仕事が忙しすぎて子供たちの面倒を十分に見られなかったことなど。それでも、その頃の生活には人との触れ合いがあり、あの頃はよかった、と彼女たちは振り返る。

戦争がはじまると、彼女たち日本人および2世の日系人は、まずパインデールのフレズノ仮集合所に収容され、その後アーカンソー州のジェローム収容所やアリゾナ州のポストン収容所などに送られた。連れて行かれるときの不安や恐怖も生々しいが、自分たちの農場を管理してくれたり収容所にいろいろ物を送ってくれたりしたアルメニア人のことなど、心温まる思い出も彼女たちは語っている。

1944年、カリフォルニア州の職員で、ツーリレイク収容所に拘留されていた2世のミツエ・エンドウが、収容所からの釈放を訴え、人身保護令状を最高裁判所に請求した。最高裁は主張を受け入れ、さらに翌年1月に日系人全員を解放するよう命じた。収容所が閉鎖になると、ファウラーに戻るものもいたが、多くは他の地域に移っていった。ファウラーの日系社会も徐々に回復はしたものの、戦前のような活気は取り戻せなかった。

時代は移り変わり、3世、4世の時代になって、異人種間結婚も進み、日系社会の団結力はますます弱まっている。そんな中で彼女たちは今でも掃除、洗濯、炊事、針仕事、俳句などにいそしんで、忙しく日一日を過ごしている。

キクムラは最後に、アメリカに来て後悔はないですか、という質問を彼女たちに投げかけている。全員が迷いもなく、「ノー」と答えている。そして、ある女性はこう続けた。

「来たくはなかったんだけれど、一生懸命働いて子供を育てて……。もし日本にいたら、私は人間にはなっていなかった」

人間にはなっていなかった、という意味をキクムラはつかみあぐねた。アメリカで苦労はあったけれど、それは「人間」になるために必要な条件だった、と他の女性たちも同意している。苦労しなければ「人間」になることはできない。「人間」になることは、生まれつきもっている資質ではなく、経験や知識から得られるもので、渡米後のある種の通過儀礼だったのだ。

自分たちの力を知り、物事を決断するが、人生の多くは運命によって決定づけられる。それは「仕方がない」。艱難辛苦はあれど、「どぶの中に蓮の花が咲く」。

彼女たちの言葉の随所に、人生の警句が含まれている。

日系人史をグローバルな視点で

キクムラが責任者を務めた全米日系人博物館主催の「国際日系研究プロジェクト」は、世界の日系人が持つ多様な文化を調査しようという企画で、世界の国々において、人とコミュニティと国家のよりよい相互理解を育むために、日系人についての知識を地球規模で増やし、共有することを目的としている。

対象となった国は南北アメリカと日本の10カ国。対象言語は英語、日本語、スペイン語、ポルトガル語の4言語。10カ国から14の日系団体と多数の研究者がこのプロジェクトに関わった。研究は当初、南北アメリカの日系人の研究に絞られていたが、1980年代から90年代にかけて移民をめぐる状況が大きく変化し、ブラジルやペルーなど、南アメリカの日系人が多数、出稼ぎのために来日しはじめた。そのため、日本にも焦点を当てることになったのである。

研究者や日系団体を探すだけでもいかに大変だったか、また、翻訳作業、用語の統一、文献表記の統一などの苦労を、キクムラは『アメリカ大陸日系人百科事典』の序文で述べている。

『日系人とグローバリゼーション』

『日系人とグローバリゼーション-北米、南米、日本』で、キクムラは、レイン・リョウ・ヒラバヤシ(コロラド大学ボルダー校人類学部教授、アジア系アメリカ人研究)とジャイムズ・A・ヒラバヤシ(サンフランシスコ州立大学人類学部教授)と一緒に「日系人アイデンティティに及ぼすグローバル化の影響」という論文を執筆している。

3人は、イギリスの批評家、スチュアート・ホールの理論を援用しながら、政治経済、あるいは社会、文化を含めたグローバル化によって、日系社会のアイデンティティが崩壊する可能性、逆に強化される可能性、新しいハイブリッドなものが生まれる可能性、などを示している。

キクムラがこれまで著書や博物館で手がけてきたミクロの手法とは180度違った研究だが、こうしたマクロの視点も、研究には必要なのだろう。

次世代に向けた新たな関係を

今年、2009年9月に来日した折、キクムラは国際移住機関・東京事務所で記者発表を行った。1985年に発足した全米日系人博物館は来年25周年。「これを機に、日本に住む日本人と、アメリカに住む日系人との相互理解をさらに深め、次世代に向けた新たな関係性を構築したい」と語った。これまでの経歴から、彼女ほどこの任に合った人はいないだろう。

日本人と日系人の相互理解度は非常に低い。「ディスカバー・ニッケイ」の充実、日本のマスメディアや教育機関、国際協力機関などのサイトとの相互リンクなど、ネットの世界でも相互理解をもう少し推進できる可能性はあるかもしれない。

横浜に海外移住資料館があるが、東京に全米日系人博物館の分館があって、常時いろいろなイベントをやってくれるといいなあなどと小生は勝手に思っている。
(敬称略)

※文中の訳はすべて筆者による。 

アケミ・キクムラの著作、出演作一覧

著作 
* Through Harsh Winters: The Life of a Japanese Immigrant Woman, Chandler & Sharp Publishers 1981. (『千枝さんのアメリカ-一日系移民の生活史』 弘文堂 1986)
* Promises Kept: The Life of an Issei Man,Chandler & Sharp Publishers, Inc.; 1991
* Issei Pioneers: Hawaii and the Mainland, 1885-1945, University of Hawaii 1993
* Mukashi Banashi: Stories of the past from Issei Women in Flower, California.  「立命館大学法学」別冊 山本岩夫先生退職記念集 2005

共著・編著 
* In This Great Land of Freedom: The Japanese Pioneers of Oregon, Japanese American National Museum; 1993
* The Kona Coffee Story: Along the Hawai'i Belt Road, Japanese American National Museum; 1995
* Encyclopedia of Japanese Descendants in the Americas: An Illustrated History of the Nikkei, Altamira Press 2002(『アメリカ大陸日系人百科事典』明石書店 2002)
* New Worlds, New Lives: Globalization and People of Japanese Descent in the Americas and from Latin America in Japan, Stanford University Press 2002 (『日系人とグローバリゼーション-北米、南米、日本』 人文書院 2006)
* Common Ground, University Press of Colorado  2004
* 「日系開拓史-学芸員の目を通して-」『日系アメリカ人の歩みと現在』 ハルミ・ベフ編 人文書院 2002 

戯曲 (未出版)
* The Gambling Den, 1985

テレビドラマ・映画出演  *役名 
* The Nun and the Sergeant 1962
* Farewell to Manzanar (TV) *Koro 1976
* Man from Atlantis (TV) *Third Receptionist 1977
* Up in Smoke, *Toyota Kawasaki  1978

参考ウェブサイト
全米日系人博物館 http://www.janm.org/
ディスカバー・ニッケイ http://www.discovernikkei.org/ja/

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 のコラムシリーズ『二つの国の視点から』第6回目からの転載です。

© 2009 Association Press and Tatsuya Sudo

Akemi Kikumura Yano antropología ciencias sociales
Sobre esta serie

Aproximadamente 3 millones de personas de ascendencia japonesa viven en el extranjero, de los cuales se dice que aproximadamente 1 millón están en los Estados Unidos. A lo largo de su historia, que comenzó a finales del siglo XIX, los estadounidenses de origen japonés en Estados Unidos han estado en ocasiones a merced de la relación entre los dos países, pero a través de sus dos culturas, han llegado a tener una perspectiva única. como nikkei. ¿Qué podemos aprender de estas personas que han vivido entre Japón y Estados Unidos? Exploramos nuevas visiones del mundo que surgen de las perspectivas de estos dos países.

*Esta serie es una reimpresión de la revista web ``Kaze'' de Associative Publishing , que publica información sobre libros nuevos, como artículos que relacionan temas actuales y temas diarios con libros nuevos, bestsellers mensuales y columnas críticas sobre libros nuevos.

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Acerca del Autor

Profesor de la Universidad de Estudios Extranjeros de Kanda. Nacido en la prefectura de Aichi en 1959. Graduado del Departamento de Estudios Extranjeros de la Universidad Sophia en 1981. Graduado de la Escuela de Graduados de la Universidad de Temple en 1994. Trabajó en el Centro de Servicios de Cooperación Internacional de 1981 a 1984. Vivió en los Estados Unidos de 1984 a 1985 y se interesó por las películas y obras de teatro japonesas estadounidenses. Ha estado involucrado en la educación inglesa desde 1985 y actualmente es profesor en la Universidad de Estudios Internacionales de Kanda. Desde 1999 preside el Grupo de Estudio Asiático-Americano, que celebra grupos de estudio en Tokio varias veces al año. Mis pasatiempos son el rakugo y el ukelele.

(Actualizado en octubre de 2009)

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