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パラグアイとブラジル日系社会との交流

rengoukaipy

ブラジルは2008年、日本移民100周年を盛大に祝った。ブラジルは150万といわれる、世界最大の日系社会を有する。ひるがえって、ブラジルに隣接するパラグアイは日系8000人と言われる。数は少ないが、まとまっているのが特色かもしれない。 そのパラグアイ日系社会にも日本語と日系社会から離れて行く若者、高校を済ませば日本に出稼ぎに行く若者、高齢化がすすむ日系社会など多くの問題がある。 一方、パラグアイとパラナ河をはさんで背中合わせにあるブラジル国パラナ州には、ブラジルでも活気があると有名なマリンガ日系社会がある。このマリンガで移民100周年を記念し、「ブラジル三州(サンパウロ、パラナ、マットグロッソ・デ・スール)・パラグアイ交流お話大会」が開催された。

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全米日系人博物館 『コモン・グラウンド -  コミュニティの心』

JANM

カリフォルニア州ロサンゼルスにある全米日系人博物館は、日系アメリカ人の体験を伝えるアメリカで初めての博物館です。 ここでは、全米日系人博物館の常設展『コモン・グラウンド - コミュニティの心』を紹介します。実際に、博物館を訪れることのできない方、博物館を訪れたけれどもっとよく知りたい、そのような方々を対象に作りました。 このコレクションを通じて、日本ではあまり知る機会のない、日系アメリカ人の歴史に少しでも興味を持っていただければと思います。
*全米日系人博物館 janm.org

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コミュニティフォーラム: 沖縄人とグローバルネットワークの追求

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全国有数の「移民の県」として知られている沖縄県。第2次世界大戦以前から、多くの移民を海外へ送り出してきました。移民数・海外在住者数は、全国でも一番です。移民した沖縄県人らは、海外で自らのコミュニティを築きつつ、世界のネットワークを通して沖縄との絆を深めてきました。 2006年10月、沖縄県那覇市に21カ国から約4900人が第4回世界ウチナーンチュウ大会へ参加するために集まりました。ウチナーンチュウ大会は、世界各地に広がる移民とその子孫-ウチナーンチュウ(沖縄県系人)-が沖縄へ戻ることで、彼らの祖先の文化や伝統に触れ、原点であるアイデンティティを確認。さらには、世界に広がるウチナーネットワークの継承といった幅広い交流を目指すとてもユニークなイベントです。 大会開催中、琉球大学移民研究センターは、沖縄系の人々の国境を越えたネットワークについて、大会参加者を対象にアンケート調査を行い、約800名の方から回答を集めました。 ディスカバー・ニッケイでは、この調査結果を皆さんにも知っていただこうと、琉球大学移民研究センターの教授3名をお招きし、カリフォルニア州ロサンゼルス市の全米日系人博物館でその調査結果を発表していただきました。 発表後、北米沖縄県人会の山内優子さん、サンフランシスコ州立大学のウェスリー・上運天(うえうんてん)さんのコメントをもって、ウチナーンチュウアイデンティティや次世代へ文化・ネットワークのの継承等について、プログラム参加者と共に意見交換を行いました。 プログラム終了後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のLane R. Hirabayashi教授(George & Sakaye Aratani Endowed Chair of the Japanese American Internment, Redress, and Community, Asian American Studies Department)のスポンサーによって、レセプションが行われました。沖縄の芸能パフォーマンスが披露されました。 このイベントの報告は下記のページから見ることが出来ます。 >> フォーラム通じ「ウチナーンチュの交流」呼びかける Click …

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Community Forum: Okinawans and Their Global Networks

editor

Okinawa is well known as a prefecture of emigrants. More Okinawans, also known as Uchinanchu, have immigrated to other countries in the world before and after World War II than …

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ラ・コルメナ移住地 歴史写真館

rengoukaipy

パラグアイへの集団移住は、1936年ラ・コルメナ移住地への入植から始まりました。2006年に70年を迎えたパラグアイ移住の礎を築いた、ラ・コルメナ移住地の歴史の一部を写真でご紹介します。

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鮫島等、1929年の家族写真

LAxSachi

父、長三郎(1877年鹿児島県出身)は、1897年にワシントン州での鉄道工事の作業員として渡米。 1910年にロサンゼルス北東のパサデナ市で小さなクリーニング店を始めた。 母、つな(1894年鹿児島県出身)は、1912年に嫁ぎ二男二女をもうけた。 やがて鮫島のクリーニング店には大型の洗濯機やプレス機もそろったが、1913年に成立していた外国人土地規制法により、店舗をかねた自宅はリースだった。 「もったいない…、」,「日本人として恥ずかしいことやみっともないことをしてはいけない。」というのが母の口癖で、家の中では我慢,忍耐,義理,義務といった日本的な価値観が尊ばれた。 兄弟は土曜日の日本語学校に通わされ、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ…」と、教育勅語を暗唱させられた。教育勅語は、前後60年以上の今でも諳んじている。 父親は「米国人と対等にやっていくには学問をしなければだめだ。」と、子供たちがアルバイトした小遣いも学資のための債権購入に当てた。

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Hitoshi Sameshima Collected by: LAxSachi

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