ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/976/

イノウエ、ハヤカワ両上院議員の補償に関する衝突(英語)

(英語)1979年夏、イノウエ上院議員から電話がありました。彼は、上院ではハヤカワ議員の協力がなくても議案を可決できそうだが、補償に反対の日系人議員がいることが議会に知られれば、反対勢力にかなり有利な展開になる、と言いました。ハヤカワ議員が反対票を投じれば、日系アメリカ人について何も知らない議員たちも反対票を入れるだろうと言いました。そして、我々がすべきことは、ハヤカワ議員が反対のことを言わないよう彼に中立の立場をとってもらうか、我々のサイドに引き寄せるか、どちらかだと言いました。そしてイノウエ議員は、ハヤカワ議員と話がしたいので、会合の調整をしてほしいと言いました。また、その方が説得しやすいだろうから、我々がハヤカワ議員のオフィスに出向くことも伝えてほしい、と言いました。

1979年8月1日午後2時半、ハヤカワ議員のオフィスを訪問することになりました。我々が到着すると、イノウエ議員は、上院法案について話し合うわけだから、上院ではないミネタ議員とマツイ議員は来ないと言いました。彼らは不参加を申し出、それでいいだろうということになったそうです。

我々が部屋の中で待っていると、正面のドアが開き、2人のカメラマンが入ってきて、真っ直ぐオフィスの中に入って行きました。イノウエ議員の表情が一気に変わるのがわかりました。彼はとても怒っていました。


ダニエル・K・イノウエ 政府 政治 リドレス運動 米国上院

日付: 1998年7月1・2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ミッチェル・マキ、ダーシー・イキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

クリフォード・ウエダ氏は、1917年1月14日、ワシントン州オリンピアの牡蠣養殖業者の家庭に生まれました。1941年から1945年にかけてウィスコンシン大学で学び、その後、ルイジアナ州ニューオーリンズのチュレーン大学医学部に進学しました。ウエダ氏は、カリフォルニア州サンフランシスコで医師となりました。

ウエダ氏が日系アメリカ人市民同盟で活動を始めたのは、1960年にサンフランシスコ支部で一世のオーラル・ヒストリー・プロジェクトの座長を務めたことがきっかけでした。ウエダ氏は、サンフランシスコ州立大学でエスニック・スタディーズの専門学部の立ち上げに貢献した他、「東京ローズ」として知られるアイバ・トグリ氏が、大統領恩赦を得てアメリカ国籍を回復するための支援者のひとりとして、重要な役割を果たしました。

1975年、医師を引退したウエダ氏は、フルタイムの活動家に転身しました。1977年、ウエダ氏は、全米JACLの代表として日系人強制収容に対する賠償運動に参加し、1978年から1980にはJACL会長となりました。様々な役割を通してコミュニティに貢献してきたウエダ氏は、2004年、84歳で癌のため亡くなりました。(2008年4月11日)

ヘンリー・ミヤタケ

歴史は変化し続ける(英語)

補償運動の発起者の一人(1929-2014)

チェリー・キノシタ

賠償金請求の必要性 (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

チェリー・キノシタ

苦しみを乗り越えて (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

ビル・ホソカワ

賠償(リパレーション)から補償(リドレス)へ (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

ビル・ホソカワ

証拠の強み (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

ピーター・アイロンズ

動かぬ証拠の発見 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

チエ・トミヒロ

聴聞会の証人委員としての役割 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

チエ・トミヒロ

話すことを阻んだ恥の意識 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

チエ・トミヒロ

今後すべきこと (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

バート・ナカノ

補償運動への参加者の増加 (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

バート・ナカノ

ワシントン政界の説得 (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

バート・ナカノ

大衆の力 (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

ジョージ・ヨシダ

三世と補償運動(英語)

音楽家 (1922年)

ウィリアム・マルタニ

補償金額の算出(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事

ウィリアム・マルタニ

CWRIC委員就任の決断(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事