ディスカバー・ニッケイ

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動かぬ証拠の発見 (英語)

(英語) 私は、「コレマツ対アメリカ合衆国」と書かれた箱を取り出し、まずは、その箱から調べてみようと思いました。強制収容に関わる裁判は初めてではありませんでしたが、私が最初に手にしたのがそのファイルでした。そして箱の中には、マニラ紙のフォルダーがたくさん入っていました。そして積んである箱の一番上に乗っていたファイルの中を見ました。その中にはメモ書きが残されていました。そこにあった全ての書類の中で、私が目を通した1枚目がそのメモでした。1枚目だったか、2、3枚目だったかもしれませんが、とにかく書類を読み始めてからたったの5分で、私はそのメモに行き着いたのです。それは、合衆国司法省の弁護士だったエドワード・エニス氏が、当時訟務長官だったチャールズ・フェイ宛てに書いたものでした。アイコ・ヨシナガ・ハージックと一緒にWRA(戦時転住局)の記録は読んでいたので、私は彼らの名前は既に知っていました。そのメモは、1944年、最高裁判所でコレマツ裁判を争う準備を進めていた訟務長官に宛てたものだったのです。

エニス氏のメモには、「我々は、戦時転住局が、日系人の強制収容の必要性についていつわりの報告をしたという情報を持っています。我々は、最高裁判所に対して虚偽の供述をしない、という倫理上の義務がありますから、その記録内容を正すべきか否か、決定しなければなりません。」と書いてありました。

その記録を見た私は、「なんてことだ。これには驚いたぞ、これこそが動かぬ証拠じゃないか。」と思ったことを、今でも鮮明に覚えています。政府の弁護士が、最高裁判所を前にして、「自分たちは最高裁判所に嘘をついている。」と認めていたわけです。もし仮に、私が歴史家であったら、おそらく私は、「これはなかなか面白い発見だ。」と言って、自分の著書にでも書き綴ったことでしょう。でも私は弁護士です。メモにはこうも書かれていました。「証拠の隠ぺいの必要性もあり。」弁護士として、私はこれこそが決定的証拠だと思いました。


政府 法律 政治

日付: 2000年10月27日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、ロレイン・バンナイ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

1940年ピーター・アイロンズ氏はマサチューセッツ州セイラムに生まれました。アンティオック大学の学生だったアイロンズ氏は、政治運動や社会運動に参加するようになり、人種差別やベトナム戦争、労働者の権利に関わるデモ活動に率先して携わるようになりました。1966年、アイロンズ氏は徴兵拒否により3年の刑を言い渡されました。刑期を終え、政治学の博士号を取得したアイロンズ氏は、ハーバード・ロー・スクール(ハーバード大学の法科大学院)に進みます。そして大学院在学中に再審要求をした裁判で、アイロンズ氏は裁判所が過去に下した判決を無効にすることに成功しました。その後アイロンズ氏は教鞭をとる道を選び、カリフォルニア大学サンディエゴ校の教授となりました。

アイコ・ヨシナガ・ハージック氏が、国立公文書記録管理局から主要文書を発見したことが原動力となり、アイロンズ氏は、最高裁判所が下した強制収容に関わる裁判判決を覆すために動き出すこととなります。その文書は、第二次世界大戦中の合衆国政府の不正行為を示す証拠として、1942年の日系人に対する集団強制収容の「軍事的必要性」の非合理を証明するものとなりました。1983年、ヒラバヤシ、ヤスイ、コレマツの3件で再審要求が申し立てられ、結果的に全ての裁判で、過去の有罪判決が覆されました。それらの裁判による勝利は、日系人に公正な裁きをもたらしただけでなく、同時に補償運動への呼びかけを正当化するものとなりました。(2008年4月15日)

ジョージ・アリヨシ

公平であること (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ジョージ・アリヨシ

ハワイの国際的な役割 (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ジーン・アリヨシ

植樹 (英語)

ハワイ州知事の元ファーストレディー

ジェームス・ヒラバヤシ

S.I.・ハヤカワとの関係 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

中東での過去と現在の関係 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ペギー・ニシムラ・ベイン

市民権を取り戻す(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

フランク・ヤマサキ

賠償金について(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

収容所経験のない一世に対する補償運動(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

日系人収容者の取り扱いに対する懸念を表す公文書(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

戦中の日系人弁護士からのサポートの欠如(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

1944年の大統領選挙後まで収容所を続けた政治的理由(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ロレイン・バンナイ

「コレマツ対合衆国」裁判を読んで感じた怒り (英語)

弁護士(1955年生)

ロレイン・バンナイ

「コレマツ対合衆国」裁判が与えるアメリカの自由人権への脅威 (英語)

弁護士(1955年生)

ロレイン・バンナイ

「生涯をかける訴訟」に携わったこと (英語)

弁護士(1955年生)