ディスカバー・ニッケイ

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戦後日本行きを志願(英語)

(英語)私は成績も良かったですし、暗記力があったので日本語は簡単でした。日本語は暗記の言語です。言葉と文字を覚えればいいので、私には簡単でしたし、終戦まで日本語を教えていました。1945年に戦争は終わり、私は大学に戻りたいと思いました。一方で、コナに住んでいた時、母からいつも聞かされていた日本の親戚にも会いたいと思いました。それで私は、日本での駐在に志願することを決めました。日本へ赴くには、志願者は少尉の任命を受けなければならず、また、士官になるためには、アラバマ州のフォート・マクレランで3ヶ月の基礎的なトレーニングを受けなければなりませんでした。トレーニングを経て少尉の任命を受け、1946年、私は日本へ行きました。


言語 アメリカ陸軍

日付: 2006年5月29日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

フランシス・Y・ソギ氏はハワイ島(ビッグアイランド)のコナ、ラニハウに、5人兄弟の末っ子として生まれました。一世の両親は、野菜やバナナ、コーヒー栽培に携わっていました。

1941年18歳でハワイ大学へ進学。大学の必修科目として予備役将校養成課程(Reserve Officer Training Corps。以後R.O.T.C.)の軍事訓練を受けていましたが、真珠湾攻撃後、他の学生と共に一時ハワイ準州守備隊(Hawai‘i Territorial Guard)へ編成されました。しかし、その後すぐ「敵性外国人」とみなされ除隊し、再びハワイ大学へ戻り勉学に励みました。在学中、米国陸軍情報部がハワイ大学の日本語の分かる学生を勧誘しているのを機に、1944年に陸軍入りを志願し、ミネソタ州のキャンプ・サベージとフォート・スネリングの情報学校で訓練を受けました。戦後、アメリカ占領下の日本へ従軍し、米国対敵諜報活動部の書類翻訳などに携わりました。

1947年再びハワイへ戻り、1949年ハワイ大学を卒業しました。その後、ニューヨーク市のフォードハム法科大学へ進み、妻のサラはコロンビア大学へ通いました。ソギ氏は、1952年12月に弁護士試験に合格し、ニューヨーク州法曹界入りを果たしました。1953年ソギ氏は東京にある事務所を持つHunt, Hill & Betts法律事務所に引き抜かれ、ビジネス誌「フォーチュン」でトップ500に入る会社のライセンス契約、ジョイントベンチャー、投資などさまざまな業務を取り扱いました。1967年から1984年にかけて、ソギ氏はMiller Montgomery Spalding & Sogiにも関わり、1984年から定年する1993年までKelley Drye & Warrenにて活躍しました。

慈善事業団体Francis and Sarah Sogi Foundationを妻のサラと共に設立し、現在でも数々の非営利団体の活動をサポートしています。

2011年11月3日に亡くなりました。(2011年11月)

 

ハリー・シュナイダー

手紙を書く(英語)

アメリカ陸軍情報部隊員(1916-2013)

ロバート・T・フジオカ

ホテル経営をできるよう育てられた祖父(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)

ススム・“スス” ・イトウ

陸軍に配属(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

ハワイと本土出身者の敵対関係(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

戦場で感じた恐怖 (英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

自らの生還を信じて(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

失われた大隊の救出(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ハワード・カキタ

アメリカ生活への適応(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

ジミー・ナガヌマ

日本の文化と日本語に触れて育つ(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

山野愛子ジェーン

文化的適応(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

外国人慣れしてきた日本人(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

ペルーへの帰国が不可能ゆえに英語を習得(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

陸軍での人種差別経験(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)