ディスカバー・ニッケイ

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弁護士としての役割(英語)

(英語)弁護士として私が思うのは、この仕事はサービス業だということです。弁護士が提供する基本的サービスは、法的アドバイスです。長年の弁護士業を通じて、私は、持ち得る全ての知識や情報は、共有、提供、伝達されるべきだと考えるようになりました。自分の中に貯めているだけでは何の価値もありません。可能ならば、どんどん共有していくべきだと思いますし、私にできる範囲で、そうするよう努めています。弁護士として働く中で、私の中に確実に根付くようになったのは、サービスに対するこのような考え方です。


弁護士 (lawyers)

日付: 2006年5月29日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

フランシス・Y・ソギ氏はハワイ島(ビッグアイランド)のコナ、ラニハウに、5人兄弟の末っ子として生まれました。一世の両親は、野菜やバナナ、コーヒー栽培に携わっていました。

1941年18歳でハワイ大学へ進学。大学の必修科目として予備役将校養成課程(Reserve Officer Training Corps。以後R.O.T.C.)の軍事訓練を受けていましたが、真珠湾攻撃後、他の学生と共に一時ハワイ準州守備隊(Hawai‘i Territorial Guard)へ編成されました。しかし、その後すぐ「敵性外国人」とみなされ除隊し、再びハワイ大学へ戻り勉学に励みました。在学中、米国陸軍情報部がハワイ大学の日本語の分かる学生を勧誘しているのを機に、1944年に陸軍入りを志願し、ミネソタ州のキャンプ・サベージとフォート・スネリングの情報学校で訓練を受けました。戦後、アメリカ占領下の日本へ従軍し、米国対敵諜報活動部の書類翻訳などに携わりました。

1947年再びハワイへ戻り、1949年ハワイ大学を卒業しました。その後、ニューヨーク市のフォードハム法科大学へ進み、妻のサラはコロンビア大学へ通いました。ソギ氏は、1952年12月に弁護士試験に合格し、ニューヨーク州法曹界入りを果たしました。1953年ソギ氏は東京にある事務所を持つHunt, Hill & Betts法律事務所に引き抜かれ、ビジネス誌「フォーチュン」でトップ500に入る会社のライセンス契約、ジョイントベンチャー、投資などさまざまな業務を取り扱いました。1967年から1984年にかけて、ソギ氏はMiller Montgomery Spalding & Sogiにも関わり、1984年から定年する1993年までKelley Drye & Warrenにて活躍しました。

慈善事業団体Francis and Sarah Sogi Foundationを妻のサラと共に設立し、現在でも数々の非営利団体の活動をサポートしています。

2011年11月3日に亡くなりました。(2011年11月)

 

ジョージ・アリヨシ

知事選出馬を決意 (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ロレイン・バンナイ

「生涯をかける訴訟」に携わったこと (英語)

弁護士(1955年生)

デール・ミナミ

フレッド・コレマツの再審評決が言い渡された時のこと (英語)

弁護士 (1946年生)

デール・ミナミ

コレマツの再審裁判がもたらした歴史的影響と私が感じたこと (英語)

弁護士 (1946年生)

A. ウォーレス・タシマ

人種差別に遭うアジア系アメリカ人弁護士(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)