https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/594/
(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長
(スペイン語) 今のアルゼンチンで、日本の文化を維持していくのはとても難しいですね。ひとつには、そうですね、アルゼンチンの日系人の数はそんなに多くはないんです。大体、3万5千人くらいです。少し前、10年ほど前までは、まだ、ある程度日本の文化を守っていくことは、簡単だったかと思います。日本語学校を通じてですね。日本人家族がまとまっている町には、必ず日本語学校や日本人会がありました。そこでは日本語を教えていて、それに、そうですね、一年中いろいろな行事をやっていました。
でも、年中やっていた行事なども、少しずつなくなってきているようです。若い人たちは、こうした行事を続けていくことに、それほど関心がないというのもあるだろうし、日系人社会にいるより、他にもっと興味を惹かれることがあるからかもしれません。それで、今のアルゼンチンでは、ある意味、日本人としてのアイデンティティや日本文化は失われつつあるようです。
一方で、逆戻りのような動きもあり、みんなというわけではなく、一部の人ですが、(日本に対する)意識というか興味を持っている人もでてきているようです。それが、たいてい三世の人たちなんです。二世ではなく、三世や四世といった次の世代の人たちが日本について興味を示すんです。恐らく祖父母の影響なんでしょうか。
それから、多くのアルゼンチン人も日本文化に興味を持っています。たぶん、二世とかは、いろいろと抵抗もあって、日本の文化を守るのは非常に難しいんです。彼らにしてみれば、子供たちに日本語より英語を教えるほうが簡単なのか、理にかなうことなのかもしれませんね。自分たちの社会を保っていくことより、アルゼンチン社会に溶け込んでいくことへの関心のほうが強いんじゃないかなと思います。
日付: 2005年10月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アン・カネコ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
モニカ・小木曽氏は1969年4月14日、ブエノスアイレス州にある園芸業に従事する日系コミュニティ、エスコバル市に生まれました。旅行業の資格を持つ彼女は、現在は旅行業界で活躍。さらには、日本向けのイベント企画のコーディネーターとし、日本とアルゼンチン両国の架け橋として活躍しています。また、ブエノスアイレスの日系団体、アルゼンチン日系センターの前会長を務め、現在はパンアメリカン日系人協会の代表メンバーでもあります。(2007年1月23日)
仕事を探していた時に感じた差別 (英語)
日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)
上司の招きでハーバード大学の教員に(英語)
いくつかの生い立ちを持ったユニークなアイデンティティ(英語)
フィリピン生まれの引揚者、後にアメリカに移民(1938年生)
正統派の寿司を広めることの難しさ
寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)
寿司の食べ方を教える
日系人としてハワイで育つ(英語)
ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)
日本人でもありアメリカ人でもある(英語)
音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生)
両親は新一世(英語)
ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)
ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人
沖縄文化の理解(英語)
本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)
共感する米国的な価値観(英語)
三か国語を使った沖縄での活動(英語)
隣人の庭で日本語学校を始めた母(英語)
日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事
詩を通して自分を表現(英語)
帰米二世、詩人、活動家(1923年生)