ディスカバー・ニッケイ

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日系アルゼンチン人の職(スペイン語)

(スペイン語) アルゼンチンの街で日本人というと・・・、アルゼンチン人にとって日本人というと、クリーニング屋ですね。というのも街で、実際に多くの大都市では、ここ50年、日本人はクリーニング屋の仕事をしてきたからなんです。たいてい沖縄出身の人たちですね。それから、首都のブエノスアイレスや大都市から離れたところにいる人たちは、花の栽培をしていました。私の父もそうでした。父は初め、祖母のいるダリンという村に住んでいました。その後、そこから20キロほど離れたエスコバルというところに移りました。そこには、200以上ものたくさんの日本人家族が住んでいて、大半が花の栽培をしているんです。そうですね、エスコバルは、今では国民的な花の都として知られていますが、実際にそうしたお祭りを始めたのは日本人だったんですよ。


アルゼンチン ドライクリーニング 草花栽培家

日付: 2005年10月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

モニカ・小木曽氏は1969年4月14日、ブエノスアイレス州にある園芸業に従事する日系コミュニティ、エスコバル市に生まれました。旅行業の資格を持つ彼女は、現在は旅行業界で活躍。さらには、日本向けのイベント企画のコーディネーターとし、日本とアルゼンチン両国の架け橋として活躍しています。また、ブエノスアイレスの日系団体、アルゼンチン日系センターの前会長を務め、現在はパンアメリカン日系人協会の代表メンバーでもあります。(2007年1月23日)

ポーラ・オヨス・ハットリ

アイデンティティ(スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父のアルゼンチン移住 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

外間良広

日本からアルゼンチンへ

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

外間良広

アルゼンチンで洗濯屋

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

外間良広

人生でもっとも印象に残っている日

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

高木一臣

日本を離れ、いざアルゼンチンへ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

彼をアルゼンチンに留まらせたタンゴ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンへの渡航(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンでの初めての仕事(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

スペイン語の学習(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンと正反対の日本(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

日本で感じる居心地の悪さ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンは私の祖国(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

世代の格差(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

日系社会では世代交替が必要(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)