ディスカバー・ニッケイ

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日本から到着した母のためにアメリカの洋服を買った父(英語)

(英語)母はシアトルに到着ました。「お父さんは最初に何をしたの?」と母に尋ねると、「最初に何をしたかというと、私をデパートに連れて行ったの。私は着物姿で、草履か下駄を履いていたでしょう」と言いました。父は母にアメリカの洋服と靴を買いたかったのです。それが最初にしたことでした。船を降りた後、2人はまっすぐデパートへ行き、アメリカの洋服と靴を買ったそうです。


衣料品 和服 着物 (kimonos) 移住 (migration)

日付: 2018年8月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: シャーロン・ヤマト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1923年、母親の里帰り中に日本で生まれる。ワシントン州シアトルで育ち、第二次世界大戦開戦後、アイダホ州のミニドカ強制収容所に収容される。クエーカー教徒のボランティアに助けられ、オハイオ州シンシナティの仕事を得て収容所を出る。シンシナティ大学を経てニューヨーク大学で文学士を取得後、シカゴ大学で文学修士号を取得する。

移民国籍法が通過した後米国に帰化し、1955年に米国籍を取得した。

幼少期から詩を書き続け、1976年に『ミニドカ』、『収容所ノート』、『その他の詩』の作品を収録した最初の本を出版した。39歳の時に健康上の不安を乗り越えて教師として働き始め、その後多くの本を出版した。

カリフォルニア州アーバインで人権擁護グループの設立を支援し、その結果1980年代にアムネスティ・インターナショナル理事会メンバーに選出された。その後多くの人権擁護活動に積極的に参加し、特に女性の人権擁護活動で知られるようになった。(2018年8月)

大友 八郎

アメリカで直面した偏見

溶接業を営む新一世(1936年生)

上杉 武夫

渡米を勧めてくれた父(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

大友 八郎

娘が日本になじめず、再度アメリカ行きを決意

溶接業を営む新一世(1936年生)

高塩 明

ボーディングハウスでの荒れた生活

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

トム・ユキ

カリフォルニア州サリナスに移民として渡った家族(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

キシ・バシ

両親は新一世(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

日本人がペルーへ移住した理由 (英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人