ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1686/

「ノーーノー・ボーイ」となった兄の理由(英語)

(英語)(忠誠心調査の)2つの質問に、兄は「ノ」と答えました。兄はその理由をこう語っています。「僕は平和主義者だから、答えは『ノー』だ。人を殺すことを僕は信じていない。だからどんな状況でも武装はしない」。次の質問についても、「そもそも日本の天皇に忠誠を誓ったことはないから、答えは『ノー』だ。なぜ(日本の天皇に)服従しないことを誓う必要がある?」と言いました。このように兄は、2つの質問に“ノー”と答えました。誰もこの調査結果に目を通さなかったようで、私たちは一緒に収容所から出ることができました。

私たちはシンシナティ大学に1年ほど居ました。ある日、FBIが兄の忠誠心調査のコピーを持って彼の下宿に来ました。質問の回答を、『イエス』に変える気はあるかと言うのです。私の記憶では、マイクの答えは『ノー』でした。変えるつもりはありませんでした。私は兄に、「何ですって?頭がおかしいの?」と叫んだのを覚えています。

もちろん兄は退学処分になりました。なぜなら学校は・・・いいえ、実際は退学ではありませんでした。学校側は、「キャンパス内で戦争関連の繊細な仕事」が行われているので、キャンパスは兄には「オフリミット」だと言いました。兄は、1年次の期末試験を受けることができませんでした。彼はその後すぐにシンシナティを離れてボストンへ向かい、数年後ボストン大学を卒業しました。


教育 ロイヤルティアンケート ノー・ノー・ボーイ 第二次世界大戦

日付: 2018年8月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: シャーロン・ヤマト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1923年、母親の里帰り中に日本で生まれる。ワシントン州シアトルで育ち、第二次世界大戦開戦後、アイダホ州のミニドカ強制収容所に収容される。クエーカー教徒のボランティアに助けられ、オハイオ州シンシナティの仕事を得て収容所を出る。シンシナティ大学を経てニューヨーク大学で文学士を取得後、シカゴ大学で文学修士号を取得する。

移民国籍法が通過した後米国に帰化し、1955年に米国籍を取得した。

幼少期から詩を書き続け、1976年に『ミニドカ』、『収容所ノート』、『その他の詩』の作品を収録した最初の本を出版した。39歳の時に健康上の不安を乗り越えて教師として働き始め、その後多くの本を出版した。

カリフォルニア州アーバインで人権擁護グループの設立を支援し、その結果1980年代にアムネスティ・インターナショナル理事会メンバーに選出された。その後多くの人権擁護活動に積極的に参加し、特に女性の人権擁護活動で知られるようになった。(2018年8月)

ボブ・キヨシ・オカサキ

渡日に対する決断に祖母の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

ジョージ・アリヨシ

戦時中のプロム (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ジーン・アリヨシ

真珠湾攻撃の日 (英語)

ハワイ州知事の元ファーストレディー

カズオ・フナイ

日本と米国

一世実業家(1900-2005)

ジェームス・ヒラバヤシ

親子の触れ合い (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

10代での収容所生活 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

コミュニティにおける日系アメリカ人研究センター (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

民族研究とのかかわり (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

日系人を研究している日本人研究者の推論 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ベナンシオ・シンキ

日本語学校での偏見 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ロバート・カタヤマ

日記をつけるように命令され、後にFBIへ押収(英語)

第2次大戦中に第442連隊に所属していたハワイの二世

バーバラ・カワカミ

熱心に働く子供たち (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

真珠湾攻撃 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

兵士たちを手助け (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

マサオ・コダニ

強制収容所での思い出(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。