インタビュー
アニメーションとの最初の出会い(英語)
(英語)一般的にサンフランシスコの日系二世の家庭は、日曜日になるとおしゃれをして外出していました。行き先がたった3、4ブロック先だったとしても、当たり前のようにドレスアップしていました。私たちはポスト通りの、ひいきのチャプスイ・レストランに行き、“チャイナ・メシ”を食べました。それは、中華風、広東風、日本風の食べ物でした。アメリカン・ジャパニーズ・スタイルのチャプスイです。その後、徒歩圏内の近所の映画館に行きました。
その時のことを覚えています。映画館の座席に座り、目の前には素晴らしく大きなスクリーンがあり、七人の小人がまるで生きているように、「Hi ho, hi ho, it’s off to work we go.(ハイ・ホ―ハイ・ホ―仕事に出かけよう)」と歌いながらスクリーンの端から端まで行進していきました。その時私は思いました。「これになりたい!」。七人の小人の一人ではなく、アニメーション製作者になりたい、ああいうものを描く人になりたいと思いました。5歳の私の胸を打ったのです。それで決まりでした。何になりたいか決まったのです。そしてその夢を追いました。徹底的に追いかけました。漫画や、当時人気があったビッグ・リトル・ブックスを集めました。
父はガジェット好きで、家には8mmのカメラと映写機がありました。父は私たちを撮影し、土曜の夜にはスクリーンと映写機を立て、父が撮った一番最近の映像を流し、最後に古い白黒のミッキーマウスのアニメーションを上映しました。白黒のサイレントでした。アニメーションを見て育った私には、映画館で見た『白雪姫』は強く印象に残りました。
日付: 2015年8月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター