(英語)私はたしか8歳だったと思います。おじは高校を卒業したばかりで、後に私のおばとなる人と交際していましたが、まだボーイフレンドとガールフレンドの関係でした。ある日曜日、おじがこう言いました。「僕がジュニアを見るよ。一緒にサンタクルーズに行ってくる」。サンタクルーズの遊園地には乗り物がありました。ローラーコースターとかそういうものですね。サンフランシスコ発の日曜の楽しいドライブでした。
お昼には敷き布を広げて昼食をとりました。いつものおにぎりやいろんなおいしいものがありました。午後3時ごろ、ゆっくりと霧がかかってきました。「少し寒くなってきたね。片付けてサンフランシスコに戻ろう」と言って車に飛び乗り、サンフランシスコのベイショアを目指し、家路につきました。
市境にさしかかると憲兵が配置されていました。そして全車両が検問中でした。私たちの番になり、おじの身分証がチェックされ、「オーケー、行ってよし」と言われました。一体何が起きているのか、なぜ憲兵がいるのかまだよく分かりませんでした。サンフランシスコに着くと、街角に号外を配る少年たちがいました。「戦争、戦争だよ!号外、号外。戦争だよ!」
家に着くと、母はパニック状態でした。携帯電話などない時代です。私たちにどうやって連絡しようか分からずにいたのです。真珠湾のニュースが日系人コミュニティに拡がると大騒動が起きました。近所の人たちは皆パニックに陥りました。祖父母が家に来たり、いろんなことが起きました。その時私は言いました。「戦争って?戦争ってどういう意味?」その後すぐ、私はその言葉の意味を知りました。
日付: 2015年8月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター