ディスカバー・ニッケイ

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タンフォラン集合センター(英語)

(英語)その日の朝のことを覚えています。私たちは全員集合させられました。家から半ブロックの距離でした。人が大勢集まっていました。ブッシュ通りにはバスが連なり、兵士がいて、軍の警備隊も来ていました。もちろんその頃の私がイメージする兵士は怪物のようなものでした。巨大な大男たちでした。ほとんどの日本人は、もっとずっと小柄だったので、兵士たちは私には巨人に見えました。名札が渡されました。肌寒く霧雨の降る、サンフランシスコらしい天気の日だったことを覚えています。そして名札をつけたままバスに乗り込みました。バスが出発し、窓の外に目をやると、もっと大勢の一世や二世が次のバスに乗り込んでいくのが見えました。荷物なども積み上げられていました。

時間はあまりよく覚えていませんが、気が付くとタンフォランで車が止まりました。子供だった私には、その時初めて行く場所でした。競馬場でしたからね。バスを降りて、特別観覧席が見えたのは覚えています。馬小屋もたくさんありました。タンフォランの中の方に入っていくと、バラックが建設されていました。全て建てられたばかりでした。

新しいバラックに住むことができた私たちはラッキーでした。早く到着した友人たちの中には馬小屋の中で過ごしていた人も居ました。到着直後の馬の糞尿の悪臭はとにかくひどいものだったと言っていました。当然ハエが飛び回り、隅には大きなクモの巣が張っていました。

折りたたまれた軍用の簡易ベッドが横に置いてありました。それを開き、「マットレスはどこ?」と言うと、「あそこに麻袋があるだろ。外に出ると干し草があるから袋に詰めてマットレスにするんだ」と言われました。もし自分にアレルギーがあって、その上で寝なければならないなんて想像できますか?その上悪臭もありました。


アメリカ カリフォルニア サンフランシスコ 一時収容センター 強制移動 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所 タンフォラン集合センター

日付: 2015年8月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1934年7月17日、二世の両親のもとサンフランシスコに生まれる。5歳の時に見た『白雪姫』に衝撃を受け、その後生涯を通してアニメーションに夢中になる。第二次世界大戦中、家族と共にユタ州トパーズで強制収容される。その後カリフォルニアに戻り、アニメーターになることを目指してウォルト・ディズニーが好んだロサンゼルスのシュイナード芸術学校(現カリフォルニア芸術大学)に入学。伝説的アニメーター、イワオ・タカモトの指導の下、ウィリーの情熱は開花し、ディズニー、ワーナーブラザース、ハンナ・バーベラ・プロダクションで黄金期を過ごし、アニメーションの世界で長いキャリアを積む。クレジットされている仕事は、『わんわん物語』、『What's Opera Doc?』、『原始家族フリントスト-ン』、『クマゴロー』に及ぶ。

ウィリーは今でも絵を描き続け、日系アメリカ人の第二次世界大戦中の経験を描いた絵本のイラストも手掛けている。サンディエゴで開催されるコミコン・インタナーナショナルでは絵にサインをしたり、ファンと言葉を交わしたりするウィリーを見つけることができる。(2016年9月)

ユリ・コチヤマ

集合センターの状況(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

E・スタンリー・ジョーンズによる集合センターの訪問(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

グレース・ウエハラ

収容所の補償運動の達成と教育(英語)

(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。

ワカコ・ヤマウチ

真珠湾攻撃後のカリフォルニア州オーシャンサイドでの日系アメリカ人学生としての経験(英語)

アーティスト・劇作家。(1924 - 2018年)

ロイ・H・マツモト

集合センターでの職探し(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

サンタ・アニタ集合センターでの生活状況(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

フランク・ヤマサキ

ピュアラップ集合センターで失った青年期の能天気さ(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

フランク・ヤマサキ

徴兵拒否の決意(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

ジョージ・アズマノ

真珠湾攻撃後にアメリカ軍から除隊(英語)

アズマノトラベル創設者

ジョージ・カツミ・ユザワ

JACLの全米書記マイク・マサオカの1942年のスピーチへの反応(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

1942年10月の妹の死(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

戦中のニューヨーク市での最初の印象(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジーン・アクツ

徴兵反対者に対する日系コミュニティの反応(英語)

徴兵忌避者(1925年生)