ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1355/

トゥーリーレイクへ(英語)

(英語)私たちは、電車にのる許可証を手に入れました。チケットはありません。それは電車に乗るための政府公認の手紙でした。私たちはトゥーリーレイクへ向かったのですが、列車の旅自体は愉快なものではなく、最悪とも言えるものでした。それをもとに短編映画を作れるくらいです。というのも、ずっと一緒に座ることができなかったからです。私は11歳で、兄は13歳、それからシズエがいました。私たちは、ばらばらになってしまいました。カリフォルニア州のフレズノに行くまでの道中、停車する度に、席を予約済みの新しい乗客がやって来るんです。それで、私たちは席をあけるように言われました。でも車掌さんはとても良い方で、優しかったです。とにかく、移動しなくてはいけなくて、座席が全くないときは喫煙室に行きました。喫煙室は煙だらけで、米兵でいっぱいでした。「ジャップがこんなところで何してるんだ?」と言われ、私たちは隅の方で、怯えているように、縮こまっていました。でも、ひとつだけ席が空いていたので、ひとりでそこへ行きました。そして一度だけ席が2、3個空いたとき、一緒に座ることが出来ました。しかし、ほとんどの時間は離れていたのです。

私はその絵を描きました。私たちが2つの座席に2列でいたときの出来事で、とても感動的だったのです。いまでも思い出します。アメリカについて考える中で、一つだけ良いことがありました。車掌さんがとても優しかったのです。一度女性がやってきて、「このジャップ、私の席で何をしてるの?!」と言うのです。車掌さんが「ご婦人、そんな言葉を使ってはいけません」と言うと、彼女は「こいつらを追い出して。さあ!」と、ヒステリーを起こしているようでした。でも車掌さんは「ご婦人、あちらに座って黙っていなさい」と言い、他の席を指定したわけです。私は退こうとしたのですが、彼女は怒りに燃えた目をしていました。それで、このようなことはまた起きるとので、それに備えなければならない、と思ったのです。


カリフォルニア州 強制収容所 ツールレイク強制収容所 アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2012年6月29日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジミー・ムラカミ氏は子供のとき、ディズニーのアニメを見たのがきっかけで映画アニメーターになった。それは第二次世界大戦中にトゥーリーレイクの強制収容所に入れられている日系アメリカ人を対象に見せられたものだった。ロサンゼルスのシュイナード芸術学校に在籍した後、UPAのアニメーターとして働いた。のちに1960、70年代に多数の有名なコマーシャルを生み出したムラカミ・ウルフ社を設立し、「風が吹くとき」や「スノーマン」の長編映画ディレクターとなる。近年アイルランドに住居を構えた後、2014年の2月に80歳で亡くなる。(2014年6月)

ジョージ・アズマノ

真珠湾攻撃後にアメリカ軍から除隊(英語)

アズマノトラベル創設者

ジョージ・カツミ・ユザワ

JACLの全米書記マイク・マサオカの1942年のスピーチへの反応(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

1942年10月の妹の死(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

戦中のニューヨーク市での最初の印象(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

エリック・ナカムラ

父からではなく歴史の本を通して学んだ収容所(英語)

『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長

エリック・ナカムラ

マンザナー収容所でのスケボー体験(英語)

『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長

マイク・シノダ

日系人収容所に対する家族の見識(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マサオ・コダニ

強制収容所での思い出(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

恥ずかしくて話せなかった収容所の体験 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

甥との対話から生まれた小説 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

後に続く世代のために残す家族の記録 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)

作家(1934年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

別々に収容された家族(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)