(英語)私の名前は「テルアキ」ですが、皆この名前を発音することができませんでした。アメリカ人の先生は「Terry」「Truey」「Terry-eiki」などと言い、私が「違います。テルアキです」と言うと「だめだ。アメリカ人の名前をつけてくれ」と言われました。こうした風潮は、日本人の名があまり使われていない学校に広まっていました。アメリカ人の名前を持たねばならなかったのです。英語の名前です。収容所で兄は、僕とは反対側にあった学校に行っていました。二歳上でしたから。でも兄も同じ問題を抱えていました。
それで私はJimmy(ジミー)の名を選びました。たまたま知った漫画本のキャラクターです。兄はJames(ジェームス)が良い名だと感じ、それに決めました。家に戻れば、テルとジュンと呼ばれていました。アメリカ人名を使うことはありませんでした。収容所にいる間、それから収容所を出てグラマースクールへ通ったとき、私は6年生で違う学校に通いましたが、兄は高校生で、私たちはJamesとJimmyの名前を使いました。
高校にあがり、私は喧嘩をしてドアや色んなものを蹴り壊したりしたため、校長室によく呼ばれました。ある時、兄がそこにいたのです。彼はJamesと呼ばれていました。「Jimmy、校長室にきてください」それから私たちは二人とも立ち上がりました。私は兄に何をしているのかと聞きましたが、彼は知りませんでした。そして気付いたのです。同じ名前を持っていたということを。私たちは無知だったのです。JamesとJimmyは音が違ったので、関連付けることなどしなかったのです。ちょっと待て、おそらくこれは同じ名前だ、と私は言いました。母と父も知らなかったのです。私たちは同じ名前だとわかったけれど両親は違う名前だと思うでしょう。John とJimmyのように。なんであれ、私たちは基本的にそれを使い続けることにしました。いずれにせよ私は日本に帰るつもりでしたから。日本で暮らすときにはJimmyの名はいらなくなると考えたわけです。
日付: 2012年6月29日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: クリス・コマイ、ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター