私が日本人会の教育担当理事になる以前の1月、「日系青年の集い」(主催:パラグアイ日系農協中央会)がイグアス移住地にあるJICA農業試験場(CETAPAR)で開催された。そこに、日系社会の後継者育成に興味を持つJICA岩谷次長も招かれ、参加した。その集いには、20代の若手が25人集まり、有意義な会が持たれたが、岩谷氏本人は若者達の認識レベルの低さと、彼らのパラグアイ社会に対する愛着、また社会参画意識の乏しさに危惧を感じたと、後日、話された。
そして2月、岩谷氏はイグアス日本語学校を訪れ、アスンシオンから講師を招く「出前授業」の実施を提案された。その後、彼は市長、現地小学校校長、日本人会会長、農協組合長とも意見交換を重ね、これからの日系及びイグアス地区の子供たちに、豊かな社会観やパラグアイ社会への参画を促進させるため、日本語学校や現地教育機関をおおいに活用することが結論になった。
また理想とし、将来、私立又は半官半民の「学校」(アルゼンチンの日亜学園、ブラジルのスザノ学園、メキシコの日墨学園のようなバイリンガル校をモデルに)、が将来、できあがることが望ましい、そして今すぐ出来ることは、既存の日本語学校及び、地区公立校の教育における質的向上で、そのきっかけの一つとして「出前授業」の実施を提案された。
実際、首都アスンシオンでは、岩谷氏が知っている15年前と比較して、近年、ダイナミックな社会的な動きがあり、パラグアイでは人格的・能力的に有能な人材が、公的部門、民間部門で活躍していると私に書き綴って来られた。
そして具体的な出前授業のテーマと担当者案として、以下のものを提示された。
- 安全な食を求めて Nさん(有機農業)
- 貧困との戦い Hさん(大学教授)
- いつか来る路 Yさん(介護福祉士)
- 農地を守る Mさん(農牧省職員)
- パラグアイの国づくり Dさん(上院議員)
- 商売はおもしろい Xさん(実業家)
- 自分の色をつくろう Hさん(画家)
- 健康を守る Kさん(看護婦長)
- 心の幸せって何 Yさん(宗教家)
- 国を守るということ Kさん(元軍人)・・・etc.
2008年4月30日、「日系子弟の今後を考える会」の第1回講演・懇談会が、関心のある方すべてに呼びかけ、岩谷氏を招いて開かれた。
岩谷氏は、まず日系人子弟の将来について、出席された一人一人に次の問いかけをされた。
- 子供にどんな教育を受けさせたいか?
- 子供にどんな大人になって欲しいか?
- 将来にどんな夢を持っているか?
そして参加者から日系子弟のスペイン語の力が弱い、自分たちが住んでいる日系社会のことを知らなさすぎる、他の移住地との交流が少ない、出稼ぎブームの影響で青年たちの活動が活発でない、もっとパラグアイ社会の中で活躍する日系社会を作って行かなければならないとの発言があった。
また、岩谷氏は現実の数字として、日系人はパラグアイ全人口の0.1%、7000人しかすぎない事、しかし、その内1500人以上が日本に行っている事。
パラグアイで働く日系人1,865人の職業別構成を見ると農業815人(44%)、商業383人(20%)、会社員224人(12%)、自営業195人(11%)、日系団体130人(7%)、医療・福祉81人(4%)、公務員37(2%)となっていること。日本で就労する日系人は約1500人だが、そのうち20歳~34歳の年齢が593人を占め、また日系社会では25歳~29歳の男性の二人に一人が、日本に行っていることが示された。
その結果、日系移住地の過疎化、少子化が進み、日系社会としての活力は低下しているが、残された少数の日系農家が、それなりの貢献をパラグアイ国にしていると話された。
しかし、ドイツ系、またパラグアイで最大の農協、コロニア・ウニダス農協を見ると、組合員3,000人で構成され、組合の中には20の青年部と、40の婦人部が組織され、また農業生産物も大豆、小麦、牛乳、肉、ジェルバ(マテ茶)、ツング(アブラ桐)と多様で、組合員と農協の経営の多角化が進み、より広範囲に国に貢献していることが指摘された。
その後の座談会では、5年後、10年後の自分、農協、地域のことを考えることが大事であり、教育においてはスペイン語も日本語もできるバイリンガルな日系人に育って欲しいなどと、さまざまな意見が出された。
後日発表された「JICAパラグアイ事務所便り」で、岩谷氏はこの日の会について、次のように感想を書かれている。
「この 1 年間、各地の日系社会で若手・中堅層との対話を繰り返してきた。そこで気づいたこと感じたことを、できるだけ事実とデータに基づいて話をさせてもらった。 要約すれば、【農村日系社会の縮小(シュリンク)が始まっている中で、どのように活気ある日系社会を維持しつつ、非日系のパラグアイ人と共に地域社会を活気づけていくか】ということだと思う。」・
私自身、農業にあまり縁がないせいでパラグアイ全体の産業とか、政治的な問題はほとんど分からない。だが、教育は百年の計であり、次の時代を創造して行くには、子供たちをしっかり育てる以外にないと確信している。しかも日本人の子供として生まれたひとりひとりが、日本語―スペイン語のバイリンガルとなって、日本が数千年にわたって育んできた文化や伝統を身につけ、その上でさらに自分が生きている南米の地でたくましく生きて行くことが、本人にとっても、南米社会にとっても有意義だと信じている。
パラグアイに来たのだから、日本語はもう必要ないという人もいる。しかし何世代の時が経とうが、私たちは日系人であり続ける。
次の講演会を誰方にしていただこうかと思案していた時、日本の桜美林大学教授で、日本のM・H・B(母語、継承語、バイリンガル)研究会事務局の佐々木倫子先生がイグアスに立ち寄って下さることになった。同時にカナダ・トロント大学のバイリンガル教育の専門家である中島和子先生が、座談会のためのテキスト作りに全面的に協力して下さり、次回の講演会テーマは「イグアスにおけるバイリンガル教育」ということに決まった。
パラグアイ向けに私が要約したテキスト、中島和子先生の「バイリンガル教育について」の中で、私は次のように書いた。
南米移住地における日系子弟の母語としての日本語保持は、ブラジルにおいてはほとんど不可能であり、ここパラグアイにおいても、三世の時代になって、失われつつある。しかし、言葉を通して文化は伝わるものである。特に日本文化は今日の世界において、一民族一文明のユニークさとともに、自然との共生など、多くの未来へのメッセージを包含している。
世界に飛び火した日本文明の火が、それこそ三代で消えることなく、形は変わっても、現代の行き詰った文明に新たに希望の火を燃やし、後代に受け継がれることを願って止まない。・・・
© 2009 Kunio Oyama