Akira Uchimura

中南米コスタリカで生まれ。日本人の父とチリ人の母を持つ。父の仕事の関係で、3年ごとにパラグアイ、ボリビア、エクアドル、エルサルバドル、日本、スリナム共和国、チリ、そしてまた日本へと引っ越しを繰り返してきた。現在は横浜で海外日系人協会のオフィスで日本財団日系留学生の活動支援担当を行っている。また、留学生OB会を設立するため、その第一歩として日系留学生のオフィシャルページを立ち上げた。

(2008年3月4日 更新)

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Kizuna: Nikkei Stories from the 2011 Japan Earthquake & Tsunami

Explaining why I haven't left Japan or even Tokyo: Radiation, Mass Media and more: Part 2

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*What was your experience with the earthquake?

We were in our Nikkei Youth Network office located on the 6th floor of a building in Shibuya, Tokyo. Around 3pm, we felt as if our building was being hit and pushed by someone. With my colleague Mao, we ran down the stairs and to the Aoyama Gakuin University, which is right besides our building, because they have an open air space as a refuge in cases like these. From there, we could see how the skyscrapers would move as if they were made out of soft plastic, and …

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Kizuna: Nikkei Stories from the 2011 Japan Earthquake & Tsunami

Explaining why I haven't left Japan or even Tokyo: Radiation, Mass Media and more - Part 1

Before I start, I would like to ask the international news media to stop using the situation in Japan—bloating the facts—and making it into entertainment to sell more papers and commercials. Many foreigners who live in Japan and can’t speak Japanese are guided solely on these kinds of news which are made thousands of kilometers out of here, and sadly, much of that information is erroneous, misleading, and/or out of proportions, and has brought panic to them.

I have been receiving many messages on my inbox asking me why I haven’t left the country, why I haven’t fled Tokyo to …

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青年日系が見る日本と世界

インターネット時代の青年日系

私はいま27歳。自分のことを「青年」と呼ぶのはちょっと恥ずかしいのですが、「コミュニケーション時代に生まれた人」という呼称がピンと来ます。

携帯電話がレンガ級の大きさから1cm以下の「ミニパソコン」になっていくのを見てきました。家から繋ぐインターネットの速度が、56kbps(1 秒に56キロバイト)から100mbps(1秒に100メガバイト)に加速することもまた、嬉しく楽しい気持ちで見てきました。今思えば、インターネット速度って1800倍もこの数年の間に速くなったのですね。10年前には、インターネットを通して映画が見られるなんて、一般の人はだれも予測していなかっ たでしょう。

90年代半ばから2000年まで、インターネットでは、メールを送ることや写真や音楽などをダウンロードすることしかできませんでした。しかし、インターネット速度や技術が発展していくにつれ、少しずつそれが変わってきました。

近頃、インターネットは一方的に情報を貰うだけではなく、自分から情報をアップロードして表現する時代になりました。そのほかにも「ネットワーキン グ」というのも流行りだし、ミクシー、Myspace, Facebook, Orkut, Hi5, などが爆発的な利用者数を登録させるまでになりました。

ここまでで、インターネットについての説明は終わらせようと思います。私がみなさんに一番伝えたいのは、ちょっと昔の日系人と現代の日系青年のコミュニケーションの変化です。

今年はちょうど日本ブラジル交流年として、日本とブラジルの交流100周年を祝う節目の年です。横浜JICAセンターの展示会「新世界へ渡った日本人」を見る機会がありました。この展示会では、移住したばかりの日本人たちがどうやって悪戦苦闘を乗り越えていったのかがよ~く伺えます。

私が思うには、日本人特有の団体意識がそういった苦難を乗り越える強い力になったと思います。みんなで団結し、県人会、敬老会、日系人協会などをつくって、お互いを守っていったのを見習わなきゃならないなと感心しました。

この団体意識は新しい世代が生まれるにつれて薄れていったと思われがちですが、現代は家にいながらにして人と「会う」ことができるので、人とのつながりそのものが肉眼では見えにくくなっているのかもしれません。

時代が変わっても、人とコミュニケーションを取りたいという気持ちは変わらないと思います。変わったのはそのコミュニケーション方法なのではないでしょうか。

私が使っているインターネット上のページを二つ紹介したいと思います。ひとつは個人ブログ(http://blog.canpan.info/akira)、そうしてもうひとつはMixiというものです。

ブログ

留学の経験や日系人から見た日本社会を人に読ませるため、ほかの日系留学生とともに3年前からCanpan Blogというのを始めました。ブログを書くことで、私が書いているものに興味を持ち、連絡をしてくれる人たちが現れます。そのおかげで、遠い親戚に見つ けてもらったり、同じような考え方、あるいはそうでない方ともいろんな会話ができました。そのほかにも、Googleに私の名前(打村明)を検索するだけ でブログにたどり着けるのです。

Mixi.jp

ミクシーというのはソーシャル・ネットワーク・サービス(略してSNS)のウェブページで、同じような趣味や考え、出身地の人たちがインターネット上で集まれるものです。自分のブログ、趣味、考えなどをプロフィールにつけることで昔の友達と連絡を取れたり、新しい友達も作れるのです。 メインページには友達の書いた、最新のコメントやブログ記事、イベントなどが表記されるので何が起きているのかが一目で分かります。現代の日系青年のミクシーは数十年前の日系移住者たちのペルー新報や日系新聞と同じ役割を果たしているのではないでしょうか。

私は日本に住む日系青年やHapaのミクシーコミュニティに参加しているのですが、そこでは掲示板のテーマ(たとえば「日系人とは」、「現代の青 年日系」など)に書き込んだり、東京のどこかで開催される「オフ会」という宴会に2ヶ月に1回参加したりします。オフラインで行われる宴会なので、オフ会。

結局、なにを言いたいかというと、人は自分と似た経験や趣味、出身地などの人とコミュニケーションを取りたがるのは今も昔も変わらないということ。 そしてインターネット世代に生きる私たちが、今、頭を悩ませているのは、画期的なコミュニケーションツールを使って、「何をするのか」と「どういうふうに するのか」ということですね。

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青年日系が見る日本と世界

世界一周の船旅で出会った日系人

一昨年、大学に通っている間、憲法9条のドキュメンタリー映画を見にいかないか、と大学の先生に誘われました。東京、六本木の洒落た映画館で、各国からきた留学生と一緒に見て、ディスカッションするイベント付き映画鑑賞でした。

ジャン・ユンカーマン監督の「映画 日本国憲法」というタイトルで、NGO法人ピースボートが主催していました。興味をそそられたのは映画が終わった後の監督自身のトークと留学生からの質問でした。

また、映画鑑賞後、グループになって議論をする場も設けてありました。英語圏の留学生が多かったので、各グループで誰かが英語と日本語で話さなければならず、自分が参加したグループでは僕が話しました。

もう何を話したかは覚えていないのですが、イベントの後にした会話は良く覚えています。

イベントのMC(司会)でピースボートスタッフのリカさんが僕に話しかけてきました:
「あきら君、素敵な意見ありがとう。通訳うまかったね。私はピースボートという国際NGO法人のスタッフで次の54回クルーズの通訳コーディネータをやるの。通訳をする代わりに無料で3ヶ月かけて世界一周しない?」

こんな感じに誘われたのですが、僕はこのピースボートという名前も初めて聞いたし、世界一周なんて話が美味しすぎるので断って、メール交換だけしました。もし、これが詐欺ではなく本当に3ヶ月で世界一周ができても、僕は大学生だからそんな長い休暇は取れない。

その2ヵ月後、通っていた国際基督教大学で「国連システムのリーダーシップと地球市民社会― グローバル公共政策の新領域(通称ICRA)」のフォーラムが行われ、そこにはピースボートのリカさんが招待されていました。ちゃんとした国際NGO法人 なのだなってこの時初めてわかりました。そして、またそこで誘われました。やはり3ヶ月は無理だからスペイン語圏の部分だけ、すなわち1ヶ月乗るのはどう かと。ちょうど、僕の夏休み期間とぴったり期間が合うので引き受けました。

早速1ヵ月後、船で通訳ができるかどうかの通訳試験を受けました。4時間に亘りスペイン語から日本語の翻訳、日本語からスペイン語の翻訳、同時通訳、一般常識テスト、そして最後に面接。気力を全部吸われた4時間でしたが、無事合格しました。

船に乗る三ヶ月前から週一回の通訳勉強会が始まりました。14人の同じ通訳仲間とチームになり、700人乗りの船の船内状況を考えながらいろんな訓 練を受けました。船内での仕事は主に、船内新聞の翻訳、水先案内人(船内ゲスト)の講演会通訳、イベントのMC、英語・スペイン語クラスの通訳などです。 各寄港地ではツアーに同行し、ガイドの通訳をします。

ここまでの話でわかる通り、通訳だけの仕事ではないので仕事名はコミュニケーション・コーディネーター、短く言うとCC(シーシー)。ほかのCCも みんないろんな意味で「濃い」人たちでした。英語CCが11人、スペイン語CCが僕を含めて3人。今では兄弟ぐらい信頼できる仲間になりました。出身は日 本だけではなく、インド、台湾、米国、メキシコ、そしてチリ。船に乗る1週間前には合同キャンプがあり、約20名の英語・スペイン語の先生とも仲良くなり ました。

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ようやく、船が横浜を出港する日が来ました。僕は途中から乗ることになっていたので乗りませんでした。しかし、出港式っていうのは中々感動するもの ですね。昔、日本人たちが南米へ移住したときもこうやって出港式をやったんだろうな~、と勝手に想像して感動していました。家族や友人が旅立つ彼らにリボ ンを投げて、少しの間だけリボンを持ったもの同士が繋がっている気がする。特別なひと時をすごしました。一ヵ月後に会う仲間に最後の送り出しをし、家に帰 りました。

一ヵ月後、船がスペインのバルセロナに着岸する前に飛行機で先乗りをしました。現地で待っていたのは、名前の通り「先乗り」をしているピースボート の関係者でした。一人はレオ、メキシコに長く住んでいた日本人、そしてもう一人、あやさんはスペインで育った情熱的な日本人女性。彼らも後に僕の仕事仲 間、そして絆の深い友人になる人たちですが、その話は次の記事で。

このとき、僕はある人に会うのをすごく楽しみにしていました。通訳研修をしている間に出会った、もう2人のスペイン語CCとスペイン語の先生です。 CCの1人はパナマに長く住んでいた日本人のメグさん、もう1人は日系メキシコ人のグティエレス実(ミノル)。彼は父がメキシコ人、母が日本人で、生まれ 育ちがメキシコ、グアダラハラ州。僕は、そんな彼と「同じ匂いがする!」とCC研修の最初から思っていました。メキシコでは通訳などの仕事をし、ピース ボートに乗るのはこれで3回目。よほどこの船旅が好きなのだろうな。ワンパクな21歳だが、どこか落ち着きがある。そしてもう一人!日系ペルー人の蒲田セ サル。彼はスペイン語の先生として船に乗っていて、彼とは今でも一緒に、1ヶ月に2回ほどボランティアで日系の子供たちに日本語を教えています。そんな興 味深い彼らです。

僕が船に着いてほかのCC仲間とのグループハグをした後、荷物を置き、すぐに「バルセロナ・サッカーツアー」に出かけました。この最初の仕事は実と一緒に行いました。実がメインの通訳者で、僕はそのサポートをしました。

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このツアーの内容というのは約20人の参加者と一緒にFCバルセロナのスタジオと博物館を訪問した後、スペインに在住するパラグアイ人、グアテマラ 人、モロッコ人移民と一緒にサッカー交流(フットサル)をすることでした。実と僕は司会者の通訳や現地の人と日本人参加者とのやり取りの通訳を行いまし た。

ここで思い始めたのが、この仕事は日系人にすごく向いているな~ってことでした。このCCとしての仕事は「言葉」のみを通訳するのではなく、その感 情や行動をうまく相手に伝えることですので、日系人が持つ「両文化の理解力」を武器にしたらかなり良い仕事ができるのではないかと思うのです。あとになっ て聞いたのですが、このスペイン語CCの仕事によく日系人がつくそうです。

*ピースボートに興味のある方は、こちらをご覧ください>> 日本語 / ENGLISH

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青年日系が見る日本と世界

はじめまして、明です。

みなさん始めまして、新しくここでコラムシリーズを書くことになりました、打村明です。
先日、掲示板の「自己紹介」で英語の自己紹介をしましたが、改めて日本語で自己紹介をしたいと思います。

僕は中南米コスタリカで生まれ、父は日本人、母はチリ人です。
父の仕事の関係で、3年ごとにパラグアイ、ボリビア、エクアドル、エルサルバドル、日本、スリナム共和国、チリ、そしてまた日本とで度々引っ越しして住んできました。

現在は横浜で海外日系人協会のオフィスで日本財団日系留学生の活動支援担当を行っています。実は僕もこの留学制度のOBでして、この留学生たちの日系留学生会、OB会を設立するために日々がんばっています。その一環として日系留学生のオフィシャルページを立てました。ぜひご覧ください(www.nikkeiportal.com)ここで私たちがやるさまざまな活動の紹介や日系お得情報を載せたりしています。

さて、本題にもどりますが。この連載記事で僕はいままでの留学経験、日系留学生としての活動や卒業したあと、6ヶ月働いた国際交流NGOピースボートでの世界一周の経験などなどについて書いていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

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