ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1392/

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

(英語)法律事務所に勤めているとき、新たな案件がクライアントからきました。そのクライアントは、事務所のもう一人の弁護士と長い付き合いがある人でした。仲間のジョン・オースティンは、本当に素晴らしい弁護士でした。ジョンは私に「この案件をやってもらえないか?君ならできると思う」と言い、「いいよ」と答えました。

そして私はクライアントに会い、途中で、クライアントはジョンに会うために立ち止まりました。ジョンが私の元にやってきて、クライアントが私が弁護士では嫌だと言っている、と言いました。なぜだかわかりませんでした。彼は言いませんでしたが、クライアントは私に会っただけなので、おそらく私が日本人だからだろうと思います。立派なことに、ジョンは「彼がこの案件を担当すべき人なので、彼が好ましくないというのであれば、この案件はお受けできません」と言って、断ったのです。

とにかく、こういったことが起こる時代でした。今日では大分少なくなったと思います。


差別 対人関係 ジョン・オースティン 法律 法律事務所 弁護士 (lawyers) 人種差別 (racial descrimination)

日付: 2014年7月2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 加藤 さくら

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

カリフォルニア州サンタマリアで生まれる。アツシ・ウォーレス・タシマ判事は、日系アメリカ人としては始めて、アジア系アメリカ人としては3人目の連邦控訴裁判官となった。タシマ氏は移民の一世のもとに生まれ、幼少期の3年間をアリゾナ州ポストンにある強制収容所で過ごす。タシマ氏が1958年にハーバード大学法科大学院に入学したとき、ハーバードにいたアジア系アメリカ人は4名だけであった。その後も、タシマ氏は連邦判事として34年の長い経歴をリードし続けてきた。1980年、カーター大統領によってカリフォルニアの中心地区連邦地方裁判所判事に任命。合衆国連邦地方裁判所に15年務めた後、クリントン大統領がタシマ氏を、ウエストコーストの九つの州を管轄する第九巡回区連邦控訴裁判所に昇進させた。2004年、タシマ氏はシニアの地位となり、現在カリフォルニア州パサデナにある第9巡回パサデナ裁判所にて判事を務めている。(2014年8月)

サカエ・シゲカワ

「みんな、盲従した」 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

日系二世の医師が受けた差別 (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

キャサリン・ドイ・トッド

法科大学へ行くことになったいきさつ(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

JABAの設立:裁判官への任命(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

J・アンソニー・クラインからの連絡(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

日米文化会館との関わり(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

控訴裁判所での仕事(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

スミコ・コザワ

戦後の差別の経験 (英語)

花屋 (1916-2016年)

ジョージ・タケイ

アジア系に対するステレオタイプ(英語)

俳優、活動家(1937年生)

キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

文化人類学から法学への転向(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士