インタビュー
二世が残した遺産(英語)
(英語)日系人が強制収容された時、私たちはまだ若く、指導者の立場にはありませんでした。アイコ(アイコ・ヨシナガ・ハージック)も言っていた通り、当時私たちは、自分自身の身に何が降りかかってきていたのか知りませんでした。その後、私たちが強制収容の事実と向き合うことができるまで、かなりの時間を要しました。「自分の国の政府に、私たちはこんなことをされた。」などと言いたくなかったのです。そして、それが自分の国だったからこそ、「国から不当に扱われた。」ことを認めたくないのです。このような心理が二世の心の中にはありました。でも二世は、意志表示をし、補償請求を経て、補償を勝ち取りました。私たち二世は、三世や四世の人々にこの事実を遺すことができたのです。三世や四世ほど補償運動に関わった二世はいなかったかもしれませんが、それでも一部の二世が主張し勝ち取ったことは、重要な遺産となりました。