ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

ゴードン・ヒラバヤシ

大統領令9066の合憲性について抗議(1918-2012)

憲法の無視(英語)

(英語) 審理に入る前に、陪審員は判事から指示を受ける訳ですが、私のケースについて判事は、「憲法についての議論はみなさん十分お聞き及びでしょうが、憲法が示しているところは今回の裁判には関係がありません。みなさんが考慮すべきは、大統領より発行された大統領行政令9066です。」と言いました。そして判事は、「みなさんには、この行政令がどの程度まで適用されるか、判断が任されています。この人物が、日系人かどうか。そして彼が日系人ならば、彼は禁止令に従ったか。従っていなければ、あなた方陪審員は有罪の評決を出さなければなりません。彼が従っていた場合、無罪となります。」と続けました。

陪審員が審理に入ってから評決を出すまで、時間はかかりませんでした。恐らく陪審員たちは、審理に入る前に充分な休憩をとり、指示書やこのケースに関わる書類にまず目を通したのでしょう。そして彼らは、裁判の決着ははっきりしているから、時間を無駄にしないでさっさと採決を取ろう、などと言い、審理を進めたのだと思います。実際に、陪審員は審理室からすぐに戻って来ました。結果は、有罪でした。「この決定は満場一致によるものですか?」という判事の問いに、陪審員は、「はい。」と答えました。こうして裁判は終わったのです。


投獄 監禁 抵抗

日付: 1999年12月5日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ、アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ゴードン・ヒラバヤシ氏は、1918年、ワシントン州シアトルに生まれました。ワシントン大学に在籍していたヒラバヤシ氏は、YMCAの活動に積極的に参加し、社会貢献活動と平和主義の信奉者でした。第二次世界大戦が勃発し、米国政府は日系人への立ち退き命令を下しましたが、ヒラバヤシ氏は個人的信条と大統領令の合憲性を問う立場から、そのような政府のやり方に対し、意義を申し立てました。

ヒラバヤシ氏は、夜間外出禁止令に違反した件で自らFBIに出頭し、90日間の刑に処せられました。ACLU(アメリカ自由人権協会: American Civil Liberties Union)の協力により、ヒラバヤシ氏の裁判「ヒラバヤシ対アメリカ合衆国」は、最高裁判所まで持ち込まれました。しかしながら、1943年、裁判所は満場一致でヒラバヤシ氏に有罪判決を言い渡しました。

有罪判決から40数年後、ピーター・アイロン氏が発見した資料には、政府が1942年に行った違法行為が明記されていました。そしてその違法行為は、当時のヒラバヤシ氏の裁判に直接影響を及ぼしていたのです。この新事実をもとに、1987年、ヒラバヤシ氏の有罪判決は覆され、長期に渡って阻まれていた正義が取り戻されました。

2012年1月2日、93歳で亡くなりました。(2012年1月4日)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ベン・サコグチ

キャンプから帰ってきて

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家