ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/907/

インタビュー

ゴードン・ヒラバヤシ

大統領令9066の合憲性について抗議(1918-2012)

憲法の無視(英語)

(英語) 審理に入る前に、陪審員は判事から指示を受ける訳ですが、私のケースについて判事は、「憲法についての議論はみなさん十分お聞き及びでしょうが、憲法が示しているところは今回の裁判には関係がありません。みなさんが考慮すべきは、大統領より発行された大統領行政令9066です。」と言いました。そして判事は、「みなさんには、この行政令がどの程度まで適用されるか、判断が任されています。この人物が、日系人かどうか。そして彼が日系人ならば、彼は禁止令に従ったか。従っていなければ、あなた方陪審員は有罪の評決を出さなければなりません。彼が従っていた場合、無罪となります。」と続けました。

陪審員が審理に入ってから評決を出すまで、時間はかかりませんでした。恐らく陪審員たちは、審理に入る前に充分な休憩をとり、指示書やこのケースに関わる書類にまず目を通したのでしょう。そして彼らは、裁判の決着ははっきりしているから、時間を無駄にしないでさっさと採決を取ろう、などと言い、審理を進めたのだと思います。実際に、陪審員は審理室からすぐに戻って来ました。結果は、有罪でした。「この決定は満場一致によるものですか?」という判事の問いに、陪審員は、「はい。」と答えました。こうして裁判は終わったのです。


投獄 抵抗 監禁

日付: 1999年12月5日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ、アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ゴードン・ヒラバヤシ氏は、1918年、ワシントン州シアトルに生まれました。ワシントン大学に在籍していたヒラバヤシ氏は、YMCAの活動に積極的に参加し、社会貢献活動と平和主義の信奉者でした。第二次世界大戦が勃発し、米国政府は日系人への立ち退き命令を下しましたが、ヒラバヤシ氏は個人的信条と大統領令の合憲性を問う立場から、そのような政府のやり方に対し、意義を申し立てました。

ヒラバヤシ氏は、夜間外出禁止令に違反した件で自らFBIに出頭し、90日間の刑に処せられました。ACLU(アメリカ自由人権協会: American Civil Liberties Union)の協力により、ヒラバヤシ氏の裁判「ヒラバヤシ対アメリカ合衆国」は、最高裁判所まで持ち込まれました。しかしながら、1943年、裁判所は満場一致でヒラバヤシ氏に有罪判決を言い渡しました。

有罪判決から40数年後、ピーター・アイロン氏が発見した資料には、政府が1942年に行った違法行為が明記されていました。そしてその違法行為は、当時のヒラバヤシ氏の裁判に直接影響を及ぼしていたのです。この新事実をもとに、1987年、ヒラバヤシ氏の有罪判決は覆され、長期に渡って阻まれていた正義が取り戻されました。

2012年1月2日、93歳で亡くなりました。(2012年1月4日)

ジェームス・ヒラバヤシ

10代での収容所生活 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

ゴードン(兄)から聞いた刑務所での両親の経験 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ユリ・コチヤマ

白人と同じ権利を求めて(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

立ち退き命令を知らないカリフォルニア人(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

集合センターの状況(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

E・スタンリー・ジョーンズによる集合センターの訪問(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

隠蔽されたキャンプでの出来事(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

仕事熱心な一世(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

逮捕された父(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

収容所のポジティブな側面(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

竹下幸男

JACLとの関わり(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

ロイ・H・マツモト

集合センターでの職探し(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

強制移住(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

パインデール集合センターでの生活状況(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)