ディスカバー・ニッケイ

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テキサス州クリスタルシティーでの日系ペルー人と日系アメリカ人の関係について思うこと (英語)

(英語) 日系ペルー人と日系アメリカ人の間に敵意や争い、対立は全く無かったと思います。でも子供ながらに、私たちはペルーの人たちにすごく親切で優しく接していたことを覚えています。私の記憶が正しければ、ペルーの人たちは少し粗野なところがあったり、話す日本語も多少未熟だったりしたのですが、私たちは彼らに礼儀正しく接するよう言い聞かせられていました。服を着ずに走り回る子供たちをそのままにさせていたりして、恥ずかしくないのかなと思ってはいたのですが、彼らの生活の中のそういうところは見ないふりをしていましたね。私たちの中に、ペルー人に対する優越感が多少あったからそんな風に振る舞っていたのだと思います。本当にそう思いますよ。階級差別的な感覚ですね。日本文化には階級差別意識が色濃くあって、それは単に私個人の記憶に残っているものではないと思います。アメリカの日系人は日系ペルー人に対して優越感を感じていたと思います。


クリスタルシティ収容所 司法省管轄の抑留所 差別 投獄 監禁 対人関係 ペルー人 テキサス アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 1998年5月27日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: ロリ・ホシノ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

マコ・ナカガワ氏は、1937年2月ワシントン州シアトルで生まれた日系二世の女性です。戦前の幼少時代を同地で過ごしますが、(戦争が始まると)ワシントン州ピュウアラップの集合センター、アイダホ州ミニドカの収容所、テキサス州クリスタル・シティの収容所に収容されました。戦後は教諭、学校長となり、その後ワシントン州公立教育指導局長のもと多文化研究のスペシャリストとして従事。そして全米初の多人種教育プログラムである、Japanese American Cultural Heritage Programおよびレインボー・プログラムを展開し指導しました。2021年4月4日、84歳でお亡くなりになりました。(2021年7月)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ベン・サコグチ

キャンプから帰ってきて

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家