ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/605/

ロサンゼルスで過ごした夏の思い出(英語)

(英語) 子供の頃は、ロサンゼルスにルーツや接点を持ちながらも、東海岸に住んでいてよかったですね。僕にとってそれはとにかく楽しくて、夏の間家を離れるいい機会だったんです。そんなに長い間滞在する訳ではなかったので、確か1ヶ月か、長くても1ヶ月半くらいでしたね。たいてい数週間程でしたけど、僕らの家族だけみんなと離れた場所に住んでいたので、僕には祖父母や親戚との接点をできるだけ持ってほしい、と母は考えていたようです。今では世界も狭くなった感じですが、当時は長距離電話も大ごとでしたから。だからよかったですよ。ロサンゼルスにいる時は楽しかったですしね。帰る時は最先端の一番かっこいい、新品の服を持ってワシントンDCに帰ってましたよ。楽しかったですね。


カリフォルニア州 米国東海岸 Finding Home(映画) アイデンティティ ロサンゼルス アメリカ合衆国

日付: 2003年9月12日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

2世の母と3世の父を持つビンス・オオタは、ニューハンプシャー州に生まれました。オオタ一家はロサンゼルス、ニューヨーク、ミネアポリス、ロンドンと転々とした後、メリーランド州ゲイザースバーグに落ち着きました。メリーランド州の小さな町で育ったため、アジア系アメリカ人との交流は少なく、夏にロサンゼルスにいる親戚と過ごすくらいで、自分の環境をアメリカの『純粋な白人』のものであったと述べていました。その後、西海岸へ移り、コミュニティカレッジへ入学。その後はCalifornia Institute of the Arts(カリフォルニア芸術大学)へ進学しました。ロサンゼルスで7年間クリエイティブデザイナーとして働いた後、1996年に渡日しました。以来日本に住む彼は、インタビュー当時、クリエイティブデザイナーとして活躍しており、今後の日本在住意思を示していました。(2003年9月12日)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ピーター・ミズキ

剣道の修行のために訪れた日本 (英語)

在日三世・剣道家

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

ピーター・ミズキ

米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)

在日三世・剣道家

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)