https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/521/
津田塾大学学長、日本人の日系史専門家
難しい問題だなと思います。あの、入ってきて、日本に来て、働いて、その人たちが本当に満足してるんならいいし、それからそういう人たちを本当にもっと受け入れるだけのその社会状況を、政府が作り上げていかなきゃなんないということをよく認識しているならいいんですけれども。あの、今の状況を見てると、なんかちょっとちぐはぐな気がしないでもないですね。労働力が必要だからってそれを歓迎する人たちと、それからやっぱり、そのいろんな問題が起きるわけですよね。日系人がたくさん住んでいるところの市長さんなんか、とても苦労しているようなことをいろんなところで発言したり、これだけ努力したけれどもなかなかうまくゆかないとかね。それからやっぱり、その住んでいる人たちが色々とその文化的な変化があったことに対して抵抗があるとかね。
そういう、その本当にそれこそこう進度が一致していないのを見るとね、アメリカっていうのは本当に長い時間かけてその辺を一生懸命調整しながら来たわけですよね。その中に巻き込まれた人たち、大変な思いをしながらね。だからそれを思えば、日本の場合はもっと時間をかけて解決していかないと。急いで解決しようと思うとね、もっと大変なことになるんじゃないかっていうのが、素人の観測ですね。あまり調べてはいないんですけど。
日付: 2005年10月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アン・カネコ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
津田塾大学でアメリカ研究を専攻。卒業後、フルブライト奨学生としてシラキュース大学大学院歴史学科に留学し、アメリカ史を専攻する。アメリカの人種、文化の多様性を目にした彼女は、とくにアメリカ史の重要な部分である移民史に関心を持ち、日本からアメリカへわたった移民についての研究を始める。当時は、アメリカにおいても、それまでの政治を中心とした歴史から「社会史」に注目が移りつつあった時代で、指導教官も彼女の研究を応援してくださった。
帰国後、母校で教鞭をとり、アメリカ史、移民史の授業を担当しつつ、自分のテーマである日系アメリカ人についての研究を進める。1980年代、1990年代にはカリフォルニア州で一世、二世の聞き取り調査に精を出したが、その後、カナダの日系人についての研究にも進展し、両国の日系人の歴史、社会での受け入れられ方などを比較してきた。
最近は日系人と日本との関係について、「ララ物資」(「LARA―公認アジア救済機関」)などを例ににして考察している。 最近の主な編著書としては 『もう一つの日米関係史—紛争と協調のなかの日系アメリカ人』 (有斐閣、2000年)、『引き裂かれた忠誠心』(ミネルヴァ書房、1994年)(共著)などがあげられ、 1997年に出版した『日系カナダ人の歴史』 (東京大学出版会) はカナダ首相出版賞を受賞。現在は研究者としてだけでなく、津田塾大学の学長としても活躍中。 (2006年10月6日)
日本へ行くこと(英語)
演歌歌手(1981年生)
在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)
在日日系アメリカ人デザイナー
アメリカ人になろうとした結果(英語)
研究者、活動家(1924-2018年)
歌詞の意味を伝えたい(英語)
ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
東海岸とロサンゼルスの違い(英語)
決してなることができない日本人(英語)
アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
MISで出会った本土からの日系人(英語)
弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)
日系三世として(英語)
日本の親戚を訪問(英語)
日本社会への突然の受け入れ(英語)
日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)
アメリカ占領下の日本(英語)
リング名「大和魂」
紅白へ出場