ディスカバー・ニッケイ

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人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

つまり、私は日系アメリカ人の遺産や伝統を、自分は本当に幸運だと思っているのです。私の前に立ちはだかった課題は、順序という点ではほぼ完璧でした。もし私が、私たち世代の日系アメリカ人弁護士コミュニティを代表するとしたら、そこから得られるものはすべて受け入れ、その経験を生かして、初のトランスジェンダーの訴訟弁護士になるでしょう。それは、とにかく他にそのような人はいないので、はるかに孤独な立場です。だから、ある意味では、今でも時々振り返るので、振り返っているのかもしれません。戦争の余波などで日系アメリカ人であるという理由で嫌われたこと、キャリアの初めからずっと差別されてきたことは、私がトランスジェンダーであるという理由で嫌われる完璧な前兆だったような気がします。彼らは、私がそれを経験し、自分の立場で、その化身として生きることができたので、おそらくはるかに穏やかで意図的な方法で、私をそれに備えさせてくれました。そして、そのように対応しました。


差別 対人関係 日系アメリカ人 弁護士 (lawyers) LGBTQ+ 人々 トランスジェンダー

日付: 2020年7月14日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: マシュー・サイトウ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

ミア・ヤマモトは、三世のトランスジェンダー弁護士であり、公民権活動家です。彼女は1943年に両親が収容されていたアリゾナ州ポストン強制収容所で生まれました。彼女は陸軍に入隊し、ベトナム戦争に従軍しました。第二次世界大戦中の日系アメリカ人の違憲な収容に反対を訴えた父親の勇気に感化され、彼女はカリフォルニア大学ロサンゼルス校の法科大学院に進学し、日系アメリカ人弁護士会での活動など、社会正義の分野でリーダー的存在となっています。 (2021年3月)

*これは、日系アメリカ人弁護士会全米日系人博物館が共催する、日系コミュニティー・インターンシップ(NCI)プログラムのインターンが毎年夏に行う主要プロジェクトのひとつです。

ジョージ・タケイ

アジア系に対するステレオタイプ(英語)

俳優、活動家(1937年生)

キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

キシ・バシ

日本人でもありアメリカ人でもある(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

沖縄文化の理解(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

母親から受け継いだモットー(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。