ディスカバー・ニッケイ

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国外追放と闘うために受けた支援

私たちは1947年9月に収容所から出ようとしていたときに強制送還される予定でした。私たちが定住したのは1954年になってからでした。

ですから、誰かが私たち家族に代わってこのすべての仕事をしてくれたという思いが伝わってきます。法律用語は言うまでもなく、英語は母と父が読めないほどでした。ですから、誰かが私たちに代わってこのすべての仕事をしてくれています。ウェイン・コリンズ、福田牧師です。このような人たちが時間を割いて、思いやりを持ってそうしてくださるのは素晴らしいことです。福田牧師は、名前を飛ばしていますが、私たちのスポンサー家族を見つけてくれました。その前に、彼はスポンサーになりたいと言っていました。


日系ペルー人 戦後 スポンサーシップ 第二次世界大戦

日付: 2019年9月20日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

カズム・フリオ・セサール・ナガヌマ(永沼)は1942年7月28日、ペルーのリマで一世の両親のもとに生まれた。第二次世界大戦前、両親は洗濯業を営んでおり、父はコミュニティの中でもリーダー的存在であった。戦争が始まると、FBIは父親を逮捕し、家族全員がテキサス州クリスタル・シティにある司法省の収容所へ送られた。戦争が終わっても、一家はペルーに戻ることが許されなかったため、一家は収容所へしばらくとどまっていたが、ニュージャージー州のシーブロックバームのスポンサーを受け、収容所を離れ、その後、サンフランシスコの神道教会の教師の援助受け、サンフランシスコに移り住み、一家はそこで仕事と住居を見つけることができた。カズムはデザイン会社を設立し、成功を収めた。(2022年9月)

 

ジミー・ナガヌマ

ペルーでの子供時代の思い出(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ベン・サコグチ

キャンプから帰ってきて

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家