ディスカバー・ニッケイ

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ソニア・ソトマイヨール米最高裁判事の後押し(英語)

(英語)カリフォルニア大学バークレー校のロースクールで開かれていた有色人種女性の会合に参加していました。彼女(ソトマイヨール判事)は、「みなさんは私のことをよくご存知なので、私の話をする必要はありませんね。みなさんの話を聞かせてください」と話し始めました。そしてこの会合に厳選されて参加している30人一人ひとりに、「なぜ弁護士になりたかったのですか?」「なぜ今ここにいるのですか?」と順番に質問していきました。彼女達の話は、それ自体とても素晴らしく、ただただ感動的でした。私は列の最後でした。写真撮影をすることになっていたので、判事はこちらに来て写真を撮りましょうと言いました。私は彼女のところへ行き、誰かが私たちの写真を撮ってくれているとき、私は判事に言いました。「あなたから本当に刺激を受けて、ようやく判事職に申し込むことにしました」。すると判事は私の手を取って突き上げ、「ホリーが判事職に申し込みます!」と言ったので、これでもう実行しないわけにはいかないな、と思いました。まさにそれが一押しとなりました。ソニア・ソトマイヨール判事に申し込むべきと言われたら、やらないわけにはいかないと思ったのです。それで私は出願し、任命を受けました。


裁判官 法律 ソニア・ソトマイヨール 女性

日付: 2019年7月11日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ケイラ・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

2012年よりカリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事を務める。カリフォルニア州ウェストオークランドの多人種地域で育った。第二次世界大戦中、子供だった両親は共に強制収容所に収容されるが、娘が大人になるまで収容所での体験を語ることはなかった。このことはフジエ判事の法と政府に対する見方に影響を与え、弁護士を経て裁判官となる道に導いた。

弁護士として日系アメリカ人弁護士会など、さまざまなマイノリティの弁護士団体や指導プログラムに携わっている。2008年にはアジア系アメリカ人として初のカリフォルニア州弁護士会会長となった。(2019年7月)

キャサリン・ドイ・トッド

娘のミア・ドイ・トッド(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

日米文化会館との関わり(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

控訴裁判所での仕事(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

ローズ・オチ

ホワイトハウスを待たせる(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ローズ・オチ

法律分野における日系の先駆者たち(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ローズ・オチ

「かごの中の鳥・・・」(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ローズ・オチ

マンザナールの保存と水道電力局(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

A. ウォーレス・タシマ

優等生ではなかった(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

「個人の法律事務所には決して就職できなかった」(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

危険にさらされている未成年者を助けたいという願望(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

母親から受け継いだモットー(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

裁判官がコミュニティ団体に寄与できる独自の視点(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

文化人類学から法学への転向(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ミア・ヤマモト

刑事弁護士になる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士