ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1703/

アジア系アメリカ人に対するステレオタイプを乗り越えることの大切さ(英語)

(英語)賢くて努力家だと思われても、弁護士が他の弁護士を見る時、残念ながら私たちは寡黙過ぎるというステレオタイプから雇用を躊躇されるのです。「部屋の隅に置いておけば一生懸命働いてくれるだろう」などと思われているのだろうと以前は思っていました。でも、自己主張が十分ではないとか、雄弁さが足りないなどと思われれば、弁護士として入り口にすら立つことができないのです。私はたくさんの女性たちの模擬面接指導をしているのですが、雇用主はそういうことを懸念しているのだから会話を持続させなくてはならないし、十分に雄弁であると納得させなくてはならないといつも伝えています。

私たちの中にも、「自分の話すことには価値がない」という意識があるのです。私はいつも母に、「あなたが声を上げたことがすごく恥ずかしかった。控えるべきだったのに」と言われていました。私の母自身、率直にものを言うタイプだったにも関わらず、私たちはそう教えられました。ですからそれを乗り越え、必要な時には声を上げてもいいし自分たちも権力者とコミュニケーションをとることができるという意識を獲得することは、アジア系アメリカ人全体に言えることですが、特に多くのアジア系アメリカ人女性が学ばなくてはならない教訓です。


日付: 2019年7月11日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ケイラ・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

2012年よりカリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事を務める。カリフォルニア州ウェストオークランドの多人種地域で育った。第二次世界大戦中、子供だった両親は共に強制収容所に収容されるが、娘が大人になるまで収容所での体験を語ることはなかった。このことはフジエ判事の法と政府に対する見方に影響を与え、弁護士を経て裁判官となる道に導いた。

弁護士として日系アメリカ人弁護士会など、さまざまなマイノリティの弁護士団体や指導プログラムに携わっている。2008年にはアジア系アメリカ人として初のカリフォルニア州弁護士会会長となった。(2019年7月)

ロジャー・シモムラ

カンザスの農夫との会話(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

ロジャー・シモムラ

人種的ステレオタイプを描いた作品の与える影響(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

ロレイン・バンナイ

ステレオタイプの固定化を回避 (英語)

弁護士(1955年生)

A. ウォーレス・タシマ

優等生ではなかった(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

「個人の法律事務所には決して就職できなかった」(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

ジョージ・タケイ

アジア系に対するステレオタイプ(英語)

俳優、活動家(1937年生)

ミア・ヤマモト

刑事弁護士になる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

ベトナムでの兵役の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

彼女が早く移行しなかった理由

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士