ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1528/

トパーズでブローチを作る父(英語)

(英語)父は釣りに熱心で、サンフランシスコの二世フィッシングクラブの設立メンバーの一人でした。週に二日は釣りに出かけていました。水曜日は店を閉めてマーセド湖やフィッシャーマンズ・ワーフなど、地元で釣りをしていました。週末はサクラメント近郊のピッツバーグまでストライプドバスを釣りに行きました。バス(スズキ)が釣れるのはその辺りでした。それが父の一番の趣味でした。

父は、手先がとても器用で、趣味に熱中するタイプでした。強制収容されている間に父が習得したことの一つに、(貝殻を使った)素敵なブローチや花のアレンジメント作りがありました。ユタ州のトパーズは干上がった湖だったので、掘れば白化した貝殻が見つかりました。マニキュアや絵の具を使って貝殻を組み合わせ、バラのつぼみを作ったり、小さくて可愛らしくて美しい小物を作ったりしました。クレープ紙を紡いでバスケットを編み、ニスを塗ると美しいブローチになりました。

父はこういうものをたくさん作り、私たちより先に収容所を出ました。父が最初に向かった先はシカゴのミシガン湖周辺でした。ミシガン湖の周りには大きくて豪華なホテルが立ち並び、父はそのエリアのギフトショップで小さなブローチを売りました。そこで少しお金を稼いでからサンフランシスコに戻り、理容学校に通い始めました。


強制収容所 家族 父親 ジュエリー トパーズ強制収容所 アメリカ合衆国 ユタ州 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2015年8月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1934年7月17日、二世の両親のもとサンフランシスコに生まれる。5歳の時に見た『白雪姫』に衝撃を受け、その後生涯を通してアニメーションに夢中になる。第二次世界大戦中、家族と共にユタ州トパーズで強制収容される。その後カリフォルニアに戻り、アニメーターになることを目指してウォルト・ディズニーが好んだロサンゼルスのシュイナード芸術学校(現カリフォルニア芸術大学)に入学。伝説的アニメーター、イワオ・タカモトの指導の下、ウィリーの情熱は開花し、ディズニー、ワーナーブラザース、ハンナ・バーベラ・プロダクションで黄金期を過ごし、アニメーションの世界で長いキャリアを積む。クレジットされている仕事は、『わんわん物語』、『What's Opera Doc?』、『原始家族フリントスト-ン』、『クマゴロー』に及ぶ。

ウィリーは今でも絵を描き続け、日系アメリカ人の第二次世界大戦中の経験を描いた絵本のイラストも手掛けている。サンディエゴで開催されるコミコン・インタナーナショナルでは絵にサインをしたり、ファンと言葉を交わしたりするウィリーを見つけることができる。(2016年9月)

イワオ・タカモト

マンザナーに向かう途中での喪失

ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラの日本人アニメーター(1925-2007)

モニカ・タイシャ―

フサガスガ強制収容所での祖父の話(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

モニカ・タイシャ―

フサガスガの強制収容所にいれられた祖父(スペイン語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

二宮 正人

戦時中に厳しく規制された外国語教育

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)