ディスカバー・ニッケイ

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英語を覚える (英語)

(英語) 私たち兄弟はみんな日本語しか話せなかった。そう、英語は少しもわからなかったの。父は少し英語を話したけれど、私たちに対してはいつも日本語だった。小学一年生の頃、英語は難しいものだった。昔、日本人は「椅子(チェア)」のことを「チア、チア」と言っていて、ちゃんとした発音ができてなかった。他にも色々あったけれど、今はほとんど忘れてしまったわ。でも私の一年生の時の先生は素晴らしかった。先生は同じブロックに住んでいたから、よく一緒に家まで歩いたの。帰宅中、一緒に歩きながら、先生は草を指差して、「Grass」と言った。私が「草」と言っていたものを。「Weeds」、「Grass」という風に。歩道に生えているやつね。そうして先生は英語を教えてくれた。ええ、素晴らしい先生だった。


教育 英語 言語

日付: 2011年5月24日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

スミコ・コザワ氏は、1916年ロサンゼルス生まれ。五人兄弟の長女であり、第二次世界大戦前は日本で3年間、琴や生け花、茶道を学ぶ。家族が経営する、シルバーレイクの「トーキョー・フローリスト」は、新鮮な花々を適当な値段で買えるためハリウッドの地域で人気だった。スミコ氏はお店を手伝う中で、有名な無声映画スター、グレタ・ガルボを含む多くの人々に出会う機会を得る。日本が真珠湾を爆撃すると、スミコ氏と家族はマンザナへと送られる。スミコ氏はそこで家族、祖父、妹の世話をした。コザワ氏は、2016年12月、100歳で亡くなりました。(2016年12月)

サム・ナイトウ

ポートランドの日系コミュニティの外で育った経験(英語)

二世ビジネスマン。Made in Oregonの店をオープン。(1921年生)

田中誠一

日本の音楽教育(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

アリス・スミダ

仏教寺院と地方の学校で受けた教育(英語)

アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)

アルフレド・カトウ

戦後リマでの体験談(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ビル・ハシズメ

日本の教育を受けさせるようにという父の遺言(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

バイロン・グレイサー

アートをサポートすることの重要性(英語)

イラストレーター、デザイナー

ロイ・ヒラバヤシ

学校と家で学んだ日本語(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ロレイン・バンナイ

大学で初めて知った強制収容の事実 (英語)

弁護士(1955年生)

デール・ミナミ

カリフォルニア州ガーデナで育まれた順応性と競争心 (英語)

弁護士 (1946年生)

デール・ミナミ

コレマツ裁判が現代社会に与えた影響 (英語)

弁護士 (1946年生)

ロベルト・ヒロセ

日本の習慣(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

赤間みちへ

ブラジルに日本様式の女学校を開校

一世。ブラジル女性教育の先駆者

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父を理解するために日本語を勉強 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世