ディスカバー・ニッケイ

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ジム・ライトの支持を得ること (英語)

(英語)当時、ジム・ライトは下院多数党院内総務…失礼、違いますね、下院多数党院内幹事でした。私は、彼に法案への支持を依頼しました。大戦中、彼は南太平洋で戦闘機の操縦士をしていたそうです。1944年休暇でアメリカへ戻った彼は、国内の日系人が強制収容所に収監されていることを知り、「こんなことのために自分は南太平洋で戦っているんじゃない」と思ったと言います。そしてその時、いつかこの不正を正すために何かしたいと思ったそうです。「こんなことは間違っている」と彼は言いました。

私は国会議員に当選し、公共事業・運輸委員会に所属しました。テキサス州選出の国会議員だったジムも公共事業・運輸委員でした。私たちはよく話すようになり、良い友達になりました。そして彼は、下院の指導者的役職に当選していきました。 私は彼を訪ね、この法案に関して、彼の助けが必要であることを伝えました。すると彼は、「失われた大隊」に言及し、第442連隊戦闘団と第100歩兵大隊の多くが、(失われた)大隊を救出するために血を流したことを話しました。そして、「ぜひ、法案の支持者として名を連ねたい」と申し出てくれました。私は、「法案の一支持者ではなく、支持者の代表になってほしいんだ」と伝えたところ、「いいだろう。代表にさせてもらおう」と言いました。

民主党のナンバースリーが法案支持者の代表になってくれたことは、我々を大いに盛り上げました。その後、特に南部出身の議員に話しに行く際に、「ジム・ライトも支持者だ」と言うことができました。そして法案が決定し委員会が設置されると、全米で公聴会が開かれるようになりました。全何回の公聴会が開かれたかわかりませんが、20から25回くらいだったでしょうか。

I*:なるほど。ちょっと話を戻して伺ってもよろしいですか?ジム・ライトが同意してくれた時、どんな気持ちでしたか?何を感じ、どう反応されたのでしょう?とても重要な瞬間だったと思うのですが。

素晴らしい瞬間でした。法案に署名する、と言ったジムに、私はただただ深く感謝し、握手を交わしました。グレンと私はオフィスを後にし、一言も言葉を発しませんでした。そのまま歩き続け、角を曲がり、エレベーターに乗りました。他には誰もいないエレベーターの中で、「やったぞ!ジム・ライトが支持者になった!」と言い合い、ハグをし、「ジム・ライトを味方につけた!」という喜びに浸りました。私たちにとって、本当に重大な瞬間でした。

*「I」はインタビュワー(トム・イケダ)


政府 ジム・ライト 政治 リドレス運動

日付: 2008年7月4日

場所: 米国、コロラド州

インタビュアー: トム・イケダ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ノーマン・ミネタ氏は、1931年11月12日に生まれました。第二次世界大戦中、ミネタ氏は家族と共にハートマウンテン強制収容所に収容されました。

彼の政治家としてのキャリアは、サンノゼ市会議員への任命に始まりました。副市長を経て、1971年サンノゼ市市長に就任しました。

ミネタ氏は、1975年から1995年下院議員を務め、1988年の「市民の自由法」(H.R. 442, the Civil Liberties Act of 1988、日系アメリカ人補償法)の成立を陰で支えました。この法案の成立により、政府は、第二次大戦中の日系人強制収容を違憲と認め、強制収容された日系人に公式に謝罪し、損害賠償を行いました。

2000年、ミネタ氏は当時のクリントン大統領による任命で初のアジア系アメリカ人内閣として商務長官に就任しました。翌年、ジョージ・W・ブッシュ大統領の任命により唯一の民主党内閣として運輸長官に就任しました。また、ミネタ氏は、この役職が制定された1967年以降最も長く同職を務めた議員でした。(2011年12月)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

日系人収容者の取り扱いに対する懸念を表す公文書(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

戦中の日系人弁護士からのサポートの欠如(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

1944年の大統領選挙後まで収容所を続けた政治的理由(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ジャック・ハージック

人種ゆえにより説得力を持った証言(英語)

元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)

ジャック・ハージック

集団訴訟によってまとまった日系コミュニティ(英語)

元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)

ロレイン・バンナイ

「コレマツ対合衆国」裁判を読んで感じた怒り (英語)

弁護士(1955年生)

ロレイン・バンナイ

「コレマツ対合衆国」裁判が与えるアメリカの自由人権への脅威 (英語)

弁護士(1955年生)

ロレイン・バンナイ

「生涯をかける訴訟」に携わったこと (英語)

弁護士(1955年生)

デール・ミナミ

二世が戦中体験を語るきっかけとなった賠償運動の役割 (英語)

弁護士 (1946年生)

デール・ミナミ

コレマツ裁判が現代社会に与えた影響 (英語)

弁護士 (1946年生)

デール・ミナミ

歴史の重要性を考える (英語)

弁護士 (1946年生)

ロベルト・ヒロセ

戦時中の日系人への政治的な影響(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

スー・エンブリー

考え方の変化(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

スー・エンブリー

制度の中で(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

スー・エンブリー

正義への戦い(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)