ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1216/

市民参加 (英語)

(英語)自国を民主国家と呼ぶ国はたくさんあります。しかしながら、アメリカ合衆国の民主主義が世界中のどの国家とも違うのは、アメリカの民主主義には市民参加が必須であるという点です。 法案が可決されたのは、市民による草の根活動の賜物でした。人口2億人の中の12万3千人に起こった1942年の過去の出来事を、一体誰が気にするでしょう?もういいじゃないか、と言われるでしょう。しかしながら、草の根レベルでの活動は全米を駆け巡り、大がかりな運動に発展していきました。本当にたくさんの人々が関わりました。

シアトルのキノシタさん、チェリー・キノシタは、常に市民グループに働きかけを行い、活動への参加を促していました。実のところ、市民グループの中には、法的なアプローチをとる私を非難する団体もありました。ビル・ホウリからは、激しく攻撃され、それは今までにない非難でした。彼は、私と私の義理の兄であるマイク・マサオカを裏切り者と批判し、「マイク・マサオカのせいで我々は強制収容された」とまで言いました。いい加減にしてほしいですよ。

とにかく我々は、日系社会の中の荒波をもかいくぐらなければなりませんでした。実際にビル・ホウリは、JACLやマイク・マサオカ、ジョージ・イナガキ、トム・ヤタベ医師、マス・サトウ、そして法的アプローチを進めた私たち議員を酷く批判しました。チェリー・キノシタやサンノゼの市民グループの人たちでさえ、他のグループと対立することもありましたし、他の二世グループとは反対の発言をすることもありました。個人を名指しで批判するのは難しいですね。


チェリー・キノシタ コミュニティ 民主主義 政府 政治 リドレス運動

日付: 2008年7月4日

場所: 米国、コロラド州

インタビュアー: トム・イケダ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ノーマン・ミネタ氏は、1931年11月12日に生まれました。第二次世界大戦中、ミネタ氏は家族と共にハートマウンテン強制収容所に収容されました。

彼の政治家としてのキャリアは、サンノゼ市会議員への任命に始まりました。副市長を経て、1971年サンノゼ市市長に就任しました。

ミネタ氏は、1975年から1995年下院議員を務め、1988年の「市民の自由法」(H.R. 442, the Civil Liberties Act of 1988、日系アメリカ人補償法)の成立を陰で支えました。この法案の成立により、政府は、第二次大戦中の日系人強制収容を違憲と認め、強制収容された日系人に公式に謝罪し、損害賠償を行いました。

2000年、ミネタ氏は当時のクリントン大統領による任命で初のアジア系アメリカ人内閣として商務長官に就任しました。翌年、ジョージ・W・ブッシュ大統領の任命により唯一の民主党内閣として運輸長官に就任しました。また、ミネタ氏は、この役職が制定された1967年以降最も長く同職を務めた議員でした。(2011年12月)

ジョージ・アリヨシ

様々な人種・民族 (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ジョージ・アリヨシ

公平であること (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ジョージ・アリヨシ

ハワイの国際的な役割 (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ジーン・アリヨシ

植樹 (英語)

ハワイ州知事の元ファーストレディー

ジェームス・ヒラバヤシ

各家庭でのキリスト教徒の集会 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

家族に恥をかかせないように (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

S.I.・ハヤカワとの関係 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

中東での過去と現在の関係 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

全米日系人博物館の役割 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

竹下幸男

JACLとの関わり(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

グレース・ウエハラ

収容所の補償運動の達成と教育(英語)

(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。

ペギー・ニシムラ・ベイン

アメリカ料理を身につけたきっかけ(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

市民権を取り戻す(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

アート・シバヤマ

日系ペルー人ゆえに拒否された賠償金(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

日系アメリカ人コミュニティの生活(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)