https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1169/
一世医師の娘(1928-2016年)
(英語)父は、州の医師免許証を取得するまでは、医療活動をすることができませんでした。そして医師免許を取得できるほどの十分な英語力もありませんでしたが、独学で英語を学んだ父は、どうにか一年後には医師免許を取得したんです。当時の日本では、医学教授のほとんどがドイツ人だったため、医学を学ぶには日本語の他にドイツ語を話せなくてはなりませんでした。父は、ドイツ語が堪能だったことをとても誇らしく思っていたようです。時々、私たちにドイツ語で何かまくしたてたりしていましたが、私たちには聞いたことのない言葉でした。でも、父は一世でしたから、英語のようにそんなにはっきりした発音をしなくてもドイツ語なら、何かつぶやくように口走ることくらい出来たんだろうと思います。
I*: でもお父様は、日本語とドイツ語と英語を話すトリリンガルだったのですよね。
最終的にはそうなりました。一世の医師は皆英語の試験を受けなければなりませんでした。実は、私の末息子が調べ物をしていた時に、イサム・セキヤマという医師が免許取得のために提出した書類を見つけたそうです。手書きの素晴らしい英文だったそうです。ですから、一世の医師たちは、医師免許証を取得するためにずいぶん努力したのだろうと思います。彼らが生きていたら、今の試験をとても簡単に感じたでしょう。
* "I" はインタビュア(トム・イケダ)
日付: 2009年9月21日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: トム・イケダ、マルサ・ナカガワ
提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.
フランセス・ミドリ・タシロ・カジさんは、1928年4月30日生まれの日系二世です。カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、ロサンゼルス郊外のガーデナで育ちました。彼女の父は、ボイル・ハイツ地区で医師として重要な役割を担っていました。第二次大戦中はアリゾナ州ポストンの強制収容所に収容され、出所後、一家はテンサイ農場で働くためコロラドに移り住みました。その後一家はロサンゼルスに戻り、彼女の父は再び医師として仕事を再開しました。フランセスは、2016年に88歳で亡くなりました。(2020年4月)
提供された腎臓をレシピエントへ輸送するために必要な処置(英語)
組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)
移植後の患者の経過を調べるための登録システムを作成(英語)
組織タイピング(適合性検査)と血液検査を使っての実父確定検査(英語)
組織タイピング(適合性検査)に必要なHLA(組織適合抗原)タイプを調べるためのトレイ(英語)
HLA(組織適合抗原)タイプと移植史に関する本(英語)
最も重要な功績としてマイクロテストの開発 (英語)
移植成功率を高めるために必要な継続的な努力(英語)
イナハラ・シャント(英語)
血管外科医(1921年生)
二世にとってのパフォーミング・アーツ(英語)
ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。
太鼓を通して感じ一世と三世のつながり(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督
典型的な一世だった父(英語)
作家(1934年生)
海外のVIP患者を担当(英語)
三世、心臓血管外科医(1925年生)
心臓外科手術の技術革新(英語)
子供の外科手術に対する達成感(英語)
小児患者がプロのバレーボール選手に(英語)