Junko Yoshida

Born and raised in Tokyo, Junko Yoshida studied law at Hosei University and moved to America. After graduating from California State University, Chico, with a degree from the Department of Communication Arts & Science, she started working at the Rafu Shimpo. As an editor, she has been reporting and writing about culture, art, and entertainment within the Nikkei society in Southern California, Japan-U.S. relations, as well as political news in Los Angeles, California. 

Updated April 2018

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New Discoveries of Wakamatsu Colony: Sakichi Yanagisawa, a Wakamatsu Colonist - Part 1

“Come to think of it, it is quite a magnificent gravestone…” Kanako Yamaguchi, a resident of Tokyo, wondered about the size of her ancestor’s gravestone when she attended her grandmother’s funeral in 2004. She went home and searched the Internet for the name carved on the tombstone, “Sakichi Yanagisawa.” Eventually, details slowly emerged of a family ancestor and a pioneer of early Japanese immigration to the U.S. Sakichi Yanagisawa was one of the settlers at the Wakamatsu Colony, the first Japanese settlement on the American mainland. More than …

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「あなたの親切を忘れない」:カー知事没後70周年、日系住民擁護し立ち上がった人々—その4

その3を読む>> 家を守ってくれた隣人:メアリー・マッカンバー フロリン在住の日系3世レスター・オオウチダさんも戦時中、非日系米国人に助けられた一人だ。 オオウチダさん一家も戦時中、強制収容所に送られた。しかし、隣人が留守宅を管理してくれたおかげで、収容所から戻ってきても家はそのままの状態で残され、元の生活に戻ることができた。 「私たちは良い隣人に恵まれ、家を失わずに済みました。メアリー・マッカンバーが守ってくれたのです」 強制収容所に送られる前からオオウチダさん一家と隣人のマック、メアリー・マッカンバー夫妻はとても仲の良い友人だった。特に妻のメアリーさんは毎晩オオウチダさんの家に遊びにきては一緒に団らんを楽しんでいたという。 「夕食の後、メアリーはいつも私たちの家に遊びにきて、夕飯の残ったお米に砂糖とクリームを加えたデザートを作って食べていました」 毎晩オオウチダさん一家の家に遊びにきていた社交的なメアリーさんとは対象的に夫のマックさんはとても良い人だが物静かで、隣人宅に遊びに来ることはなかった。 しかし、一度だけ訪ねて来たことがあった。それは一家が強制収容所へ送られる前の晩のことだった。マックさんはオオウチダさんの家に来てこう告げた。 「何か必要な物があったらいつでも手紙で知らせて下さい」 「とても静かでほとんど話さない男性でしたが、わたしたち一家のことを…

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「あなたの親切を忘れない」:カー知事没後70周年、日系住民擁護し立ち上がった人々—その3

その2を読む >> 助けられた日系住民、真心の交流 戦時中の立ち退き命令により、多くの日系住民が汗と涙で築き上げた家や土地、仕事など苦労の結晶すべてを失った。 中には収容所に収容されている間、家や土地の管理をかってでる非日系米国人もいた。しかしその多くが無断で土地を売るなどし、強制収容所から戻ってくると、かつてのわが家や土地が他者のものになっているケースも多かった。 カリフォルニアのライス・キングとして知られる故・国府田敬三郎氏もその一人だ。強制収容所に収容されている間、国府田氏は農園の管理を依頼していた非日系米国人に裏切られ、所有していた土地の3分の2と精米所が無断で売り飛ばされ、戦前所有していた広大な土地を失っている。 しかしそんな中でも、日系人が強制収容所に収容されている間、彼らの家や土地を守り続けた非日系米国人がいた。 ここでは日系住民が収容所から帰ってくるまで彼らの土地を守り続けた人たちの一部を紹介したい。排日感情が高まる中、時に同じ非日系米国人から中傷や非難を受けようとも日系住民との約束を守り抜いた人々―。当時子どもだった日系住民が彼らとの真心の交流、そしてよみがえる思い出を羅府新報に語ってくれた。 * * * * * 日系家族の農園守り続けた人:ボブ・フレッチャー サクラメント郡エルクグローブに住む日系3世のマリエール・ツカモトさんは強制収容所に収…

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「あなたの親切を忘れない」:カー知事没後70周年、日系住民擁護し立ち上がった人々—その2

その1を読む >> 「祖父は自身が育った小さな町で行われていたリンチ(私刑)を見て育ちました。大人たちの間で何か問題が起こると、法廷で争われることなく、有罪か無罪か決められる。町の人々はただその人を有罪と決めつけ、リンチしていたそうです。祖父は子どもの頃、木によじ登り、狂った町の様子を見てきたのです。その時に見た恐ろしい光景から祖父には強い道徳観が芽生え、法曹界を目指し、『人として何が大切か』を考えるようになったといいます」。そう話すのはカー氏の孫で現在南カリフォルニアに住むキット・リンチさんだ(旧姓カー、以下キットさん)。 今回、キットさんがカー氏との思い出、そして彼の信念について語ってくれた。 * * * * * 秘書に日系女性採用: 収容所から来た「ワカ」 キットさんはカー氏の長男ロバート氏の長女だ。「祖父は初孫だった私をとても可愛がってくれました。そして私も祖父が大好きだった。世界で一番の祖父です。祖父とはよく一緒に踊りそして歌も歌ったの」 キットさんが生まれて間もない43年、カー氏が知事職を離れ弁護士に戻った頃、彼はコロラド州アミチ収容所に行き、そこに収容されていた日系人のワカコ・ドウモトさんを秘書として採用した。 ワカコさんはカリフォルニア州オークランドで育ち、収容所に行く前はスタンフォード大学で学び、家業の造園業の事務を手伝っていた。採用…

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「あなたの親切を忘れない」:カー知事没後70周年、日系住民擁護し立ち上がった人々—その1

正義貫いた勇気ある行動 「彼らを攻撃するなら、まず私を攻撃しなさい」 1941年12月の真珠湾攻撃の後、日本人の血を引く日系住民は敵性外国人とみなされ、差別と偏見の目にさいなまれた。多くの人が彼らに敵意を向ける中、自らを危険にさらしてまでも、迫害に耐え忍ぶ日系住民を擁護し立ち上がった人々がいた。 当時のコロラド州知事ラルフ・ローレンス・カー氏は、街中が狂気にみち溢れる中、州民に対し演説の中でこの冒頭の言葉を述べ、日系住民への差別を直ちに止めるよう呼び掛けたのだった。 一方、カリフォルニア州では、強制収容所に送られた日系住民の家や農園を終戦まで守り続けた非日系米国人たちの姿があった。彼らは非難や中傷を受けても、そして時に銃口を向けられても、日系住民が収容所から戻ってくるまで彼らの家や土地を守りぬいたのだった。 大統領選を控える2020年。今年はカー氏の没後70周年の年でもある。強硬な移民政策が推し進められる今、人種による偏見をものともせず信念を貫いたカー氏を側で見ていた孫の証言、さらに強制収容を体験した歴史の証人たちの声とともに、正義を通した勇気ある人々の貢献をここに取り上げたいと思う。 彼らのことを私たちの記憶にとどめ、いつまでも忘れないために、差別の代わりに「正義」と「友情」をささげた人々を紹介したい。 * * * * * 「友情の手」差し伸べた人: ラルフ・ロ…

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