ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/532/

若いアーティストの足がかりとしての『ジャイアント・ロボット』(英語)

(英語) 『ジャイアント・ロボット』を通して、記事を書いたり商品を売る以上のことをやりたかったんです。根本的な考え方は、新人アーティストらが、彼らの目標を達成できるよう手助けすることなんです。美術だけで成功するっていうのは1番大変なことですからね。だからやりたかったことの1つとして、お店の中に展示スペースを設けて若いアーティスト達の作品を展示することだったんです。サンフランシスコ店でもニューヨーク店でもやっているんですが、単に商品を買ったり雑誌を読んだりするだけじゃなくて、もっとお客さんに参加していって欲しいんです。

アートで成功するのって本当に厳しいし、僕らはお客さんにはもう一歩踏み込んでアート作品をちゃんと見て欲しいんですよ。こういうことをすごくやってみたかったんです。例えば大学でアートを専攻してきたアーティスト達が、いつの間にか自分の作品で生計を立てられるようになってる。そういうのを見たいですよね。すごく珍しいことかもしれないけど、実際にそうなってる人達は増えてるし、僕もサンフランシスコとニューヨークの店を通して貢献でればいいですよね。彼らのキャリアに少しでも助けになってると思いたいしね。僕らは全国3都市でアーティストを紹介できるし、露出の機会をたくさん提供できるんですよ。それって(アーティストにとって)大切ですよね。もちろん1番底辺のストリートレベルのギャラリーで、展示スペースは僕らのお店の一角ですから。アーティストが上のレベルに行けば、1番上が美術館なんだけど、僕らのはその1番下のレベルにあって、アーティストの足がかりにしてもらえるんだよね。


アーティスト 芸術 ジャイアント・ロボット 出版物

日付: 2005年11月27日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

エリック・ナカムは雑誌『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長です。ロサンゼルス出身の三世で、典型的な日系アメリカ人の家庭に育ちました。土曜日に日本語学校へ通い、そこで基本的な日本の文化や伝統を学び、その当時の経験は、現在の彼の日系アメリカ人としてのアイデンティティを形成するのに大きな役割を果たしています。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校東アジア研究学科を卒業後、Larry Flynt出版に就職。そこで働いている間、アメリカのアジア系のポップカルチャーに焦点を当てた雑誌を出版することを思いつきます。1994年、共同創始者となるマーティン・ウォングとともに、自らコピー・製本し『ジャイアント・ロボット』の第1版を出版しました。ミニコミ誌として始めた『ジャイアント・ロボット』は、当初の売り上げは約240部ほどでしたが、現在ではアメリカ国外にも購読者を広げています。

『ジャイアント・ロボット』の成功を元に、日本からの輸入品を取り扱う店をロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコにオープンしました。これらの店では、商品を売るだけでなく、地元のアーティストの作品などを展示し、サポートしています。また、gr/eatsという名のレストランもオープンしました。

ナカムラは、『ジャイアント・ロボット』の雑誌の仕事に付け加え、『サンセット』と呼ばれる映画制作やそのほかのプロジェクトにもにもかかわっており、2006年、彼のアメリカにおける文化的な貢献に対し、全米日系人博物館より賞を受賞しました。(2006年10月26日)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

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ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラの日本人アニメーター(1925-2007)

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(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家

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(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家