『Song for Anna』(英語)
(英語)1972年、世界中の作曲家によって構成されているヤマハ・ミュージック・フェスティバルのために日本へ行きました。そして『Love is Blue』を書いたアンドレ・ポップ氏がそこにおり、優勝しました。そして私は彼に紹介され、部屋に行きウクレレを演奏してみせました。ドビュッシーの『月の光』か何かのクラシックの曲を弾くと、彼は感心していました。そしてウクレレの音域を尋ねると、4月にパリに来て一緒にアルバムを作ろうと言ったのです。やった!
彼は私に曲を書いてくれました。楽譜には、『Mon Ami, Herb Ohta』とあります。
[演奏]
それからあの曲、『Song for Anna』は、私たちが戻ってきた際、税関などを通り抜けて私が持ち込んだものです。私はカセットテープに入れたそれをアメリカの全てのメジャーなレーベルに手当り次第に送りました。全員に断られました。ロックの時代にこのようなものは売れないと言われたのです。静かな、クラシック調の曲でしたから。
それで地元だけでリリースし、ハワイで、全てのロックのラジオ放送局でナンバーワンになりました。どうやったかというと、番組ディレクターが人々が仕事に向かう早朝にその曲をかけ、どういうわけか受け入れられ、それからA&Mが聞き、ハーブ・アルパート氏らが、その曲が欲しいと言ったのです。
そしてそれはサンフランシスコでヒットしました。シアトルでも。ブームは突然に来て、1日で700枚ものレコードが売れました。もちろん、それらはすべて45sでしたが、それでも当時、テキサス州ヒューストンの中でもトップクラスのロックラジオ局であるKILTでナンバーワンになったのです。
[演奏]
日付: 2012年8月
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター