ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1370/

『Song for Anna』(英語)

(英語)1972年、世界中の作曲家によって構成されているヤマハ・ミュージック・フェスティバルのために日本へ行きました。そして『Love is Blue』を書いたアンドレ・ポップ氏がそこにおり、優勝しました。そして私は彼に紹介され、部屋に行きウクレレを演奏してみせました。ドビュッシーの『月の光』か何かのクラシックの曲を弾くと、彼は感心していました。そしてウクレレの音域を尋ねると、4月にパリに来て一緒にアルバムを作ろうと言ったのです。やった!

彼は私に曲を書いてくれました。楽譜には、『Mon Ami, Herb Ohta』とあります。

[演奏] 

それからあの曲、『Song for Anna』は、私たちが戻ってきた際、税関などを通り抜けて私が持ち込んだものです。私はカセットテープに入れたそれをアメリカの全てのメジャーなレーベルに手当り次第に送りました。全員に断られました。ロックの時代にこのようなものは売れないと言われたのです。静かな、クラシック調の曲でしたから。

それで地元だけでリリースし、ハワイで、全てのロックのラジオ放送局でナンバーワンになりました。どうやったかというと、番組ディレクターが人々が仕事に向かう早朝にその曲をかけ、どういうわけか受け入れられ、それからA&Mが聞き、ハーブ・アルパート氏らが、その曲が欲しいと言ったのです。

そしてそれはサンフランシスコでヒットしました。シアトルでも。ブームは突然に来て、1日で700枚ものレコードが売れました。もちろん、それらはすべて45sでしたが、それでも当時、テキサス州ヒューストンの中でもトップクラスのロックラジオ局であるKILTでナンバーワンになったのです。

[演奏] 


ハワイ 音楽 楽器 音楽家 ウクレレ アメリカ合衆国

日付: 2012年8月

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

78歳。日本、そして世界中のウクレレファンに“Ohta-san(オオタさん)”として知られている。オオタさんはウクレレの名奏者で、ホノルルで第二次世界大戦以前に母親から演奏の仕方を教わる。1960、70年代にウクレレを世に広め、ハワイアン音楽だけでなくインターナショナルなポップやジャズにまでそのレパートリーを広げた。インタビューの中で、オオタさんのキャリアにとって重要であった曲の抜粋を演奏し、そのスタイルの発展をありありと見せてくれる。(2014年6月)

マイク・シノダ

音楽で表現する政治的メッセージ(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マイク・シノダ

アーティストとしての役割(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マサオ・コダニ

太鼓リズムの変化-日本的なもからアフロ・キューバンへ(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

和太鼓へのアメリカの影響(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

緊那羅太鼓の太鼓へのアプローチへ感謝(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

日系アメリカ人の庭師ダンス(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

環境を反映する太鼓音楽(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

伝統的音楽「雅楽」を演奏することによって形成されたアイデンティティ(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

PJ・ヒラバヤシ

自己表現としての太鼓(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

PJ・ヒラバヤシ

日系アメリカ人の太鼓を日本へ(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

PJ・ヒラバヤシ

イギリスの太鼓グループ:グローバル太鼓コミュニティの形成(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ロイ・ヒラバヤシ

バンクーバーに太鼓を紹介(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓奏者の定義(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

フランク・ソギ

ハワイ島コナのコミュニティ(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)