サントス・池田・吉川
(Santos Ikeda Yoshikawa)
科学技師で公共投資のプロジェクト企画、予算編成、コンサルティングの専門家。マドレ・デ・ディオス特別事業に関わっており、34年間公共分門に携わっている。
(2015年4月 更新)
この執筆者によるストーリー
マードレ・デ・ディオスでのNHKとの会談
2015年6月9日 • サントス・池田・吉川
日本でデカセギとして働いたり、観光客として、インターンとして働いたり、あるいは両国でケーブルテレビを視聴したりした私たちは、NHK (日本放送協会=日本放送協会) の重要性と役割を知っています。 そして、私のような凡人にとって、この日本のラジオ会社が私にインタビューしたいと突然告げられたのは、予期せぬ驚きでした。したがって、私の長い人生のカレンダーには、同じ NHK のディレクターが私にインタビューするためにプエルト マルドナドを訪れる、2015 年 4 月 7…
自分の原点を知る
2015年4月23日 • サントス・池田・吉川
ペルーは多民族、多人種、多文化の国であるため、国内の日系社会はその異質なペルー人人口に相当するか、そのごく一部を占めています。そのような観点から、自分の先祖のルーツについて疑問や不安を感じたことがある人は多いのではないでしょうか。明らかに、彼らは祖先の出身地や出身国についてある程度の概念を持っているでしょうが、それ以上の概念はありません。私の場合、父を知る喜びはありませんでした。なぜなら、父は私がまだ1歳になる頃に亡くなったからです。64歳になった今日、父の歴史の起源や一部…
マードレ・デ・ディオスの日本人と日系人コミュニティ: マードレ・デ・ディオスの熱帯ジャングルへの日本人移民を追悼する記録
2015年1月16日 • サントス・池田・吉川
マードレ・デ・ディオスへの日本人移民ペルーは、契約方式(1899~1923年)に基づいて、またその後は家族からの招待や自らの取り組みによって自由に日本人労働者を大量に受け入れた国の一つである。これらの日本移民のほとんどはペルー海岸の砂糖と綿花農園で働くために避難させられ、熱帯ジャングルに移住した人はごくわずかでした。現在5世代目までのこれらの移民の子孫は、彼らの祖先がどのようにしてなぜこれらの熱帯の土地に到着したのかを知らないか、間違った考えを持っています。そのため、歴史の…
私の日本での出稼ぎ経験
2014年10月27日 • サントス・池田・吉川
私の両親は日本人で、父は鹿児島県、母は愛媛県の出身です。幼い頃から日本に対する関心と強い思いがありましたが、日本に行ってその体験から私の日本への見方が少し変わりました。 いつも両親の親戚に会いたいと思っていましたが、当時はまだ航空券もかなり割高で、滞在費を工面する難しさや日本語という壁もあり、安月給の公務員であった私には、到底実現できることではありませんでした。大卒で公務員として専門職に就いた私の給与はかなり低くかったのですが、教員だった妻の収入もあり、家計をうまくやりく…