ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2024/1/16/fujiko/

第四十五話 富士子はジャポネザでよかった!

尾崎家は大家族だった。長男と次男は結婚し、実家でそれぞれの家族と両親が皆一緒に暮らしていた。

その家で、富士子は生まれた。孫息子3人を持つ祖父は日本の女優の山本富士子の大ファンだったので、初の孫娘に富士子と名付けた。「山本富士子のように美しくて人気者になるといいな」と、家族は期待した。

富士子は明るい子に育った。しかし、高校一年生のとき、クラスメートの男子に「おまえ、オザキと逃げたんだってなぁ?」と、冷やかされた。

実は「フジコ・オザキ」は、ポルトガル語で「わたしはオザキと逃げた」という意味に聞こえるのだ。それで、クラスメートのこの冷やかしに、皆、大笑いした。

授業中だったので、先生は何が起こったのかと聞いた。出しゃばりのマルセロが「フジコ・オザキ」の発音の面白さを説明した。

先生は「日本人の名前って本当に面白いね」と言いながら、授業を続けた。

以来、富士子は自分の名前が嫌いになった。クラスメートと先生も大嫌いになり、翌年、ついに転校した。

新しい学校でも、自分の名前のことを言われたり「ジャポネザ1」と呼ばれると、とても嫌な気持になった。が、辛抱して高校を卒業した。

その後、両親の反対を押し切って、リオデジャネイロのダンススクールに入学した。そしてプロのダンサーになった。

富士子は、芸名「アンジェリカ」という名で活動した。髪はブロンドにし、ブラジル人のようなゴージャスメイクをした。

ある時、テレビ番組に出演した富士子は、ネルソン・リンスという歌手に声を掛けられた。

ネルソンは日本で行われる「外国人のど自慢大会」に参加するので、日本語を教えてほしいと富士子に頼んだ。「私はブラジル人。日本語はできない」と、富士子は答えた。日本のことや日本語について何か聞かれるたびに、必ず、このセリフを繰り返していた。

しばらくして、富士子はネルソンと再び出会った。

ネルソンは「外国人のど自慢大会」に参加したお陰で、横浜のクラブと契約を結び、ギターを弾きながら歌を披露するようになったという。そしてネルソンは、富士子へ尋ねた。

「フジコ、一緒に来ない?日本はとても良いところだよ。僕は日本語を習いたい。フジコも習ったらどう?」突然だったが、富士子は一ヵ月の予定でその夏ネルソンと一緒に日本へ行くことにした。

ネルソンは会社の近くにアパートを借り、日本の厳しいエンターテイメント業界で成功する目標を立てた。

一方、富士子は千葉県に住むデカセギのいとこにお世話になることにした。いとこは、東京のあちこちを案内してくれた。街は外国人観光客で賑わっていて、富士子もツーリスト気分を十分に味わった。

いとこが働いているときは、富士子は一人でも東京の街中を歩き回った。

真夏の太陽の下、、かき氷店を目にした富士子は、ふと立ち止まった。子供時代の記憶が突然よみがえった。おばあちゃんがグーズベリーのシロップでトッピングしたかき氷をよく作ってくれたのを思い出したのだ。

ひんやりふわふわのかき氷を味わうと、家族と過ごした楽しい頃のことが浮かび上がってきた。お正月のお餅の食べ比べ、みんなで参加した運動会、テレビで応援した遠い日本の紅白歌合戦、地域ののど自慢大会に両親が出演したことなどなど・・・。

「ジャポネザで生まれてきてよかった!」と、富士子は誇らしく思った。と同時に日系人であることを否定して生きてきたことを後悔した。祖父母や両親に申し分けないと思った。

ブロンドの髪、ゴージャスメイク、パンプスハイヒール、きらきらしたアクセサリー、芸名「アンジェリカ」の富士子は偽者なのだ。できるだけ早くこの偽りのキャラクターを卒業しようと富士子は心に決めた。

そして、ブラジルへ戻る前にネルソンを訪ね、ふたりはいろいろな話をした。

「フジコ、本当に変わったね!別人のように見えるよ。とても幸せそうだ!自身にあふれていて、前よりボニータ!ゴスティ、ヴィウ」と、ネルソンは言ってくれた。

「『ジャポネザ』と呼ばれても構わない、名前をからかわれても、もう気にしない。私は日本にルーツがあることを誇りに思う」と、ブラジルに戻った。

注釈

1.日本人女性
2.美しい、カワイイ
3.気に入ったよ 

 

© 2024 Laura Honda-Hasegawa

ブラジル デカセギ フィクション 外国人労働者 アイデンティティ 日本 日系ブラジル人 在日日系人
このシリーズについて

1988年、デカセギのニュースを読んで思いつきました。「これは小説のよいテーマになるかも」。しかし、まさか自分自身がこの「デカセギ」の著者になるとは・・・

1990年、最初の小説が完成、ラスト・シーンで主人公のキミコが日本にデカセギへ。それから11年たち、短編小説の依頼があったとき、やはりデカセギのテーマを選びました。そして、2008年には私自身もデカセギの体験をして、いろいろな疑問を抱くようになりました。「デカセギって、何?」「デカセギの居場所は何処?」

デカセギはとても複雑な世界に居ると実感しました。

このシリーズを通して、そんな疑問を一緒に考えていければと思っています。

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執筆者について

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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