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第13回(後編) 二世の二重国籍と結婚問題

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在米二世への見方

在米二世が日本やアメリカからどう見られていたか、また反対に在米二世が日本をどのように見ていたかを語った興味深い記事を紹介したい。

1.日本の女子学生の見た在米二世

『彼女の見た二世』—在米邦人の祖国認識それは明治大正物です—」(1935年10月4日号)

『北米時事』1935年10月4日

「今夏、ポートランドで開かれた日米学生大会へ日本の学生代表として渡米した月本峰子嬢の在米二世に対する感想と云ふのが下のように伝えられて居る。一学生の感想らしいところもあるが彼女は云ふ。

『在米の二世女子はすべて米国婦人に似て居る。しかし意外に日本語は上手なのに感心した。之は満州事変後、俄に日本語が盛になり、日本のことが色々と研究されたりする様になった結果だと思ふ。昨今あちらでも日本舞踊はとても盛ん。又お茶、活け花、皆とても流行して居る。しかしその多くは親達から聞いただけの明治大正時代の日本を思ひ、現在もそのやうなものだと思ってゐるらしい。まだまだ理解が足りない。それから二世女子は日本で教育を受けた殿方が嫌ひだそうだ。そして日本に行って見物したいが、決して永く住む所でないなどと思っているそうだ。それは私達にしても米国には若い時代、二、三年間は楽しく学びたひが決して永く住む所ではないと感じるのと同じだと思ふ。外国人ならうなづけるが、日本の血をうけた人々の考へかと思ふと不思議に感じる。(中略)

二世男子は、やはり米国の男子と同様、一体に無口でおとなしく女のやうな感じがする。米国の男子は日本の女性がお好きだそうだ。そして日本に良き仕事を見つけて帰りたいと云ふのだが。それは、学校に居る時には白人と同じにすべてなって居るが、いざ社会に出ると、良き位置を得ることが大変困難だからだろう。そこで彼等の多くは日本に籍のないことをくやんで居る』」


2.在米二世男子から見た日本

「ある二世は日本をかく語る」(1934年11月1日号)

「彼はこんな事を言った。それは日本に来るからには日本を研究するだけの考へがなくてはいけない。日本に行ってもアメリカ崇拝の観念がぬけない様では一つの衝突が起こる様な悲劇が起ると云ふのだ。で彼はかく語る。

『アメリカ崇拝主義で日本を頭からけなすならば来ない方がよい。日本と云ふ国に来るならば、日本を理解して、自分も日本人らしい日本人になると云ふ気がなければ、却って日本に来て日本の物質的な欠点を、アメリカと比較すると、そうは云へないと思ふ。日本は精神的な国だから、それを判らずに帰って来ると却って結果は悪いと思ふ』

それから彼は結婚の問題についてこう云ふことを考へさせられたと云って居る。それは『もしアメリカから帰って日本で配偶者を得たとする。その場合自分が結婚した相手に対する自分の心持ちは満足そのものであっても、日本の親戚関係と云ふ様なことについては全く自信がない。だから実際に自分の家庭を本当に幸福なものにするには矢張り気心の判ったアメリカ生まれを求めねばならぬ』と云ふのである」

3. アメリカから見た在米二世

「反日的な米紙が日系二世を賞讃 —米国に忠誠尽くすと—」(1939年5月1日号)

「不敬漫画や反日記事を掲載する『ケン誌』は5月4日付の同誌に日系市民に関するアーネスト・ペインターの記事を載せ写真入りで大要左の如く日系二世を賞讃している。第一世の心のホールは日本で、頻しきりに帰りたがっているが、二世、三世となると心情的に全然違ふ。日系市民は公立学校で一番成績もいい。食物と運動の為、体まで違ってくる。日本人は最も勤勉で努力する。

(中略)日系市民が日本と米国の何れに忠誠を尽くすかといふ問題になると、米国に忠誠を尽くす気持ちであるが、例えば日米戦争の場合、日本人だといふので迫害されたら、折角米国に忠誠を尽くしたい気持ちも無くなるであろう。これに反して正しくこれを待遇したらば、第一世も日系市民も他の人種と同じく或はそれ以上に米国に忠誠を尽くすに違ひない」

この記事は、日米戦争を予言し、一世、二世のアメリカへの忠誠心について、日本人の気持ちを理解した鋭い視点だと感じる。


二世の結婚問題 

二世の結婚問題は在米同胞社会の最重大問題となり日本人会を中心にこの結婚問題をどうするかという検討会が多く持たれた。

「結婚の座談会」「娘年ごろに取残された移民地哀話」(1934年12月8日号、12月12日号)

「12月7日に日商社会部主催で伊東忠三郎、藤平芳太郎、天野正十九、澤田晋作、星出惣吉、山口正等が出席し第二世結婚問題の座談会が催された。(中略)藤平氏が座長で嘗て国校増築の時に同胞の出生率を調査して統計を作成した際、1919年から20年の出生が最高に達した。以来順次下り坂となって居るが当時の出生者は現在既に16、7歳内外に達し、非常に多数を占めて居る。即ち何れも眼前に婚期を控へてる女子多い。(中略)現在シアトル、タコマの22、3歳の女子の数は約100名あるとの話。一年位前カリフォルニア州で男子の婚期に達した者30名位の集合を催したが、女子は集合を求めたが参加者はなかった。男子の大部分は帰米日系であったが、結婚の相手として米国出生者は余りヤンキー式なる故、配偶者として嫌ふ者が多く、又自己の要求を全部容れて呉れる女子を望む様だった。(中略)

結婚の年齢について普通現代社会では22、3歳の女子と30歳前後の男子との結婚が理想となっている。之を標準として考える時、吾々の社会では同年齢同志が結婚の場合には数字はうまくゆくが、過渡期に生まれた女子には相当の問題が起ることとなる。ここに吾々の社会的な難問題が起る訳である」

『北米時事』1934年12月8日

『北米年鑑』1936年にシアトル市の年齢別人口表が掲載されている。このデータは1934年実績と推測され、記事内容とほぼ合致する。

結婚適齢期を迎える1940年における女性20〜24歳、男性28〜32歳の年齢別人口を予想すると、圧倒的に女性が男性より多いことがわかる。

表2:米国出生シアトル二世の年齢別人口予想


第二世女子の日本における結婚

第二世女子の結婚について有馬純義は、「北米春秋」(1939年1月20日号)で次のように語っている。

「 第二世女子の結婚問題の解決法の一つの方法として子女を日本に送ってはどうかと云ふ意見がある。しかし一般的に賢明と云はずんば実行可能な問題かと云ふと必ずしも左様ではない。日本に於ては米国に於けるが如く簡単ではない。日本では結婚に女子の年齢制限がある。23、4を過ぎると既におくれたものとされるのである。そこに30歳近くの第二世が帰って来ても果して適当な配偶者を得るであろうかと云ふと、中々難しい問題である。その位の年齢に達した女子の結婚の相手はどうしても再婚の相手しかないことになる。(中略)

第二世女子は何と言っても善かれ悪しかれアメリカ娘、日本人男子との心理的、教育的、又因襲的相違は決して双方の幸福をもたらさぬのである。(中略)

生活的には第二世女子にとっては矢張り米国が一番幸福なのではあるまいか。然も現実の問題として年長女子の結婚難の問題がある。これは相手を得ざる以上自分自身がどう考へても解決されぬ問題である。然もこのままに放置すれば社会的にも種々な問題を惹起する危険が予想されるのである。それ等第二世女子自身も自分達の地位と境遇をよく鑑み両親も本現実を直視して適当な所で妥協するのが結局賢明なのではないかと思ふ。女子は結局結婚生活に於てその幸福がもたらされるからである」

二世同士の結婚

『北米時事』には二世同士の婚約や結婚式の記事が1938年以降、大戦中の1942年に至るまで、頻繁に掲載された。1942年の大戦中の緊迫の中での二世同士の結婚の記事を紹介したい。

1942年1月21日号にはシアトル市の二世同士の婚約が決まり、花嫁、花婿の氏名のみならず媒酌人の氏名も記載し、結婚を祝していた。花婿はアメリカ陸軍にめでたく入隊したと記されている。

又同年1月27日号にはシアトル市内の2組の二世同士の婚約記事、2月5日号には1組の結婚の記事が掲載されている。

更に、日系アメリカ人の強制収容の決定される寸前の2月16日号に、元老と言われたオーバーン夏原商会店主の夏原千代吉氏の三女富子嬢がオレゴン州ヒルズボロ在住の豪農家の岩崎安吉氏の長男譲爾じょうじ 君と結納を取り交わし、近日中にオレゴン仏教会にて結婚式を行うという記事があった。

『北米時事』19342年2月16日

これ等の記事を見て思うことは、大戦中での二世の結婚は日系アメリカ人として、これからアメリカで生き抜くという強い自信と誇りを持ったものに感じる。

多くの二世達は日本とアメリカの板挟みとなり、二重国籍問題や結婚問題に悩みながらも、一世達の懸命なサポートと二世達自らの努力でこの難問に立ち向かい、その後の日系人社会の発展に尽くしたのだ。

次回は二世達が進学した大学についての記事を紹介したい。

(*記事からの抜粋は、原文からの要約、旧字体から新字体への変更を含む。)

参考文献

『北米年鑑』北米時事社、1928、1936年
在米日本人会事蹟保存部編『在米日本人史』在米日本人会、1940年
坂口満宏『日本人アメリカ移民史』不二出版、2001年

 

*本稿は、『北米報知』に2022年5月5日に掲載されたものに加筆・修正を加えたものです。

 

© 2023 Ikuo Shinmasu

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このシリーズについて

北米報知財団とワシントン大学スザロ図書館による共同プロジェクトで行われた『北米時事』のオンライン・アーカイブから古記事を調査し、戦前のシアトル日系移民コミュニティーの歴史を探る連載。このシリーズの英語版は、『北米報知』とディスカバーニッケイとの共同発行記事になります。

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『北米時事』について 

鹿児島県出身の隈元清を発行人として、1902年9月1日創刊。最盛期にはポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち、約9千部を日刊発行していた。日米開戦を受けて、当時の発行人だった有馬純雄がFBI検挙され、日系人強制収容が始まった1942年3月14日に廃刊。終戦後、本紙『北米報知』として再生した。

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執筆者について

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現在の日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を日英両言語で北米報知とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門― 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

(2021年8月 更新)

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