ドジャース野茂旋風が転機に
私がロサンゼルスで暮らし始めた1992年当時、日本語新聞『日刊サン』は有料だった。その後、無料紙になったこと、さらにトルネード旋風を巻き起こした、ロサンゼルス・ドジャースの野茂選手の登場で、まだインターネットから情報を取ることが一般的ではなかった90年代半ばに、一気に同紙が身近な存在になったように記憶している。野茂選手がいかに『日刊サン』の救世主だったかを熱く語ってくれたのは、創業者の牧野泰さんから2012年に事業を譲り受けた現発行人の冨山敏正さんだ。
「1984年、ロサンゼルス・オリンピックの年に創刊した『日刊サン』は、10年間、25セントで販売されていました。私が入社した94年に無料化されたのですが、それまでずっと赤字続きだったこともあり、無料化でうまくいかなければ年末で廃刊する予定だったのです。ところが、その年、サッカーのワールドカップがロサンゼルスで開催されたことでスポーツのニュースが注目され、さらに95年にドジャースに野茂さんの入団でその流れに勢いが付きました。当時は日本人の選手がメジャーリーグでやっていけるわけがないと思われていたのですが、その見方を大幅に覆すほど野茂さんは大活躍したのです。また、1ドル80円台と円高も手伝って、日本から野茂さん目当ての観光客が大挙してロサンゼルスにやって来ました。『日刊サン』の編集部の電話は、野茂さんの登板についての問い合わせの電話が鳴りっぱなしという状態でした」。
野茂選手のニュースに注目する読者が激増し、同紙は同選手の活躍とともに知名度を上げていったのだと冨山さんは振り返る。その後も、スポーツを中心にエンターテインメント、コミュニティーの話題を届ける日本語新聞として同紙は発行を継続した。「飲食関連の求人は『日刊サン』に出稿するのが確実だ」とは私もよく耳にするほど、同紙はコアな読者の支持を得ていた。そして、同紙にとっての次の転機が訪れたのは新型コロナのパンデミックの渦中、2020年のことだった。
「それまではロサンゼルス・エンジェルスの大谷選手の活躍もあり、スポーツをメインに取り上げていました。しかし、20年の3月の(ロックダウンの)時点で、スポーツ中心でいくことが難しくなったため、スポーツ紙から脱却し、新型コロナの情報をはじめ、アメリカの現状を伝えるコンテンツに変更しました。さらに同年11月には、それまで週5日発行していたものを、毎週日曜に発行する週刊にサイクルも変えました。これにより、1号あたりの発行部数を2倍にし、現在は4万部になっています」。
週刊に変えたのはどのような戦略によるものなのか、それによって読者にとっても発行側にとっても良い影響は生まれたのかを冨山さんに聞いた。「毎日、『日刊サン』を手に取って読みたいという、多数のコアな読者に支えられていたことは事実です。しかし、発行頻度を抑えることで1号あたりの部数を2倍に増やすことができました。それにより、読者も増え、広告の効果がぐんと上がったことは実感しています。さらに発行側としては、これまで週5日、新聞を出すために毎日追いまくられ、余裕がありませんでした。週刊化を決行したことで、心にも時間にも余裕が生まれたことが大きな利点です」。
ロサンゼルスオリンピックまで発行を続けたい
紙媒体としての今後について聞くと冨山さんは次のように答えた。「当地に住んでいる日本人が果たしてロサンゼルス・タイムズをしっかり読むかと言うと、そこまで読み込める人は少ないと思います。ですから日本語でアメリカの現地情報を入手することが必要な人にとって、『日刊サン』を絶やすことはできないのだという使命感を感じています。また、ネットの時代になったとは言っても、電子版をネットで配信する一方で、やはり手に取って記事を読みたいという読者がいる限り、新聞の発行を続けたいと思っています」。
冨山さん本人はその計画を知らなかったものの、年内廃刊の可能性があった94年に入社。その後、野茂旋風を受けて生き残った『日刊サン』の経営を引き継ぎ10年、パンデミックの渦中は週刊化にシフトした冨山さんの社会人としてのスタートは、実は観光業界だった。「81年に日本でホテルマンとして就職しました。その後、旅行会社に転職し、アメリカに駐在、ヒューストンやサンフランシスコでも働きました」。スポーツ観戦が趣味だった冨山さんは、「会社で新聞を読んでも怒られないだろう(笑)」と、『日刊サン』に転職した。
「創刊したのが前回のロサンゼルス・オリンピックの年でした。ですから、ロサンゼルスで次にオリンピックが開催される28年まで何としてでも、新聞の発行を続けていきたいと思っています。これまでを振り返ると、『野茂サマサマ』であったと同時に、ロサンゼルスに住む老若男女の読者には感謝しかありません」。28年、同紙は創刊44年を迎える計算になる。まずは同紙の28年までの悔いない完走を、一読者として願うばかりだ。
*『日刊サン』公式サイト
© 2021 Keiko Fukuda