ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2019/2/8/sukeji-morikami-2/

第2回 大寒波と交通事故

大和コロニー入植時のメンバーたち、前列左端が森上助次、右端がリーダーの酒井醸。明治40(1907)年元旦撮影。

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた(詳細は第1回を参照)。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。

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〈気ままな一人暮らし、しかし望郷は常に。そして同胞の死〉 

1950年×月、岡本みつゑさんへ

御依頼のお金子100ドルだけ、去る24日に送りました。

天候変わりやすく多忙の為、休む暇もありません。心身共に疲れ果てていますが、眠れぬ夜もあります。そんなときは色々人生について考えます。

人間、欲の多い者ほど苦労があるようで、死ぬまで苦労は止みません。私は、衣食住には事欠かず、健康であれば人生最大の幸福だと思ふようになりました。私が雨洩る茅屋に住み、ガタガタするカーに乗り、ラジオもなく、薄暗い石油ランプの明かりで新聞や雑誌を読み、疲れで寝るのが何よりの楽しみです。

故郷からは何の便りもありません。また、予期もしていません。誰もが故郷を懐かしいと思うでしょうが、遠い他国に住み、余生が永からぬ者にとってはよりいっそうです。


〈助次は故郷を離れてから44年余になる〉 

故郷に植え置いてきた杉や檜はいまごろは大きくなったであろう。さて、しかし帰って見ると、山も川も昔の儘なれど、知る人とてもほとんどなく、通る人々に冷たくされ……こんな事なら帰ってくるのではなかった。——こんな事まで考えます。

玲子(※助次の姪)の結婚についてですが、相手は人物本位で考えるべきで、地位とか財産目当ての結婚は考えものです。お互い好き嫌いがありますから、気の進まぬのを無理矢理にお押しつけるのは不幸な事です。

今日の地元の新聞は、二人の同胞の死を報じています。在米同胞一世の多くは、もう老境に達し、次から次へと死んで行きます。一人は45年前、同じ釜の飯を食った九州人で67歳で、他の一人は当地の北西50マイルの地で百姓をしていた82歳の、これも九州人です。世をはかなんで縊死を遂げたのです。

私はいまのところ至って壮健、中々死にそうもありません。仕事は山程あり、中々思うようになりません。日本から甘藷(※さつまいも)を輸入したいと思っていたのですが、これは厳禁だということで許可は得られませんでした。

〈大寒波で作物が…… あわや大事故に〉

1950年12月、岡本みつゑさんへ

手紙有難う。暫く御無沙汰しました。疲労が重なっていたこともあり、お許しください。

昨日、突然寒波が襲来し、一時大騒ぎしました。新聞やレディオの天気予報によれば十数年来の寒さで、温度は廿五度位(※マイナス3.9℃)まで下がり、フロリダ州の農産物は全滅の恐れにあるということです。少々の寒さは予期していましたが、こんな寒さは全く予想外のことでした。強い西北の風が吹き始めました。終夜吹き通せば全滅のおそれがありました。しかし、風は徐々におさまり、温度は三十五度(※1.7℃)より下がることはなく、大損害はまぬかれた次第です。

寒風のため2英町(※エーカー。1エーカーは4047平方メートル。2英町は、サッカーグランド1面よりやや広い程度)のキユーカンバーは全滅しましたが、茄子もトメトーも助かりました。

暖かい国に住み慣れた私には、こんな寒さは実際身にこたえます。畑で働く黒人は、賃金を倍額してもこんな日には働きません。先週のフライデーにはストーム(※嵐)の枯れ残りの茄子を三十一箱摘み取りました。相場は良くありませんが、品薄のとき高値で売れました。今日は、これから朝露が乾き次第、残りを摘み取る予定です。三十箱ぐらいあると見込まれます。こんなわずかな収入も手元が不如意のときは大助かりになります。

今後気候が順調になれば、ストーム後植えつけた作物からの収入もありますので大助かりです。

ところで、先週土曜日、思いがけない災難に遭いました。私の農園近くの十字路で、ハイスピードで飛んできたカー(※乗用車)が、私のトラック(※運搬用)の側面に突っ込んできて、トラックは転覆しました。双方とも損害を蒙りましたが、幸い私はかすりきずひとつ受けませんでした。全く不幸中の幸いでした。

重荷を積んでいたので助かったのでしょう。空荷でしたら私のトラックは吹っ飛ばされ、近くの運河に投げ込まれて今頃私は、地獄と極楽の分かれ道をさまよっていた事と思います。カーの多いこの国では毎日、多くの人が死んだりケガしたりしています。

アクシデントの八、九割は不注意から起こります。田舎者の私のガタガタカーではマイアミの人込みのあるタウンには、危険なのでいきません。くれぐれも余り心配しないようにして下さい。

(敬称略、※は筆者注)

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★参考:大和コロニーと森上助次。「大和コロニー〜フロリダに『日本』を残した男たち」(川井龍介著、旬報社)より

 

© 2019 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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