https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/926/
プロアメリカンフットボール選手。(1971年生)
(英語) 僕が育った環境は、小学校から大学までほとんどが白人かアジア系の人たちで、黒人は僕一人という場合が多かったです。でも、実際誰も僕の人種のことを問題にしませんでしたし、「だから何?」という感じでした。自分だけが違うなどと感じたことはなく、他の子たちと全く同じように受け入れられていました。子供はとても正直だし、考える前に物を言ってしまうところがありますよね。だから大学に入るまで自分の人種についてあまり考えたことが無かったと言うと、驚かれるかもしれません。僕が自分の人種のことを考えるようになったのは、大学に入ってからでした。大学生になった僕は、文法を崩した、いわゆるステレオタイプ的な黒人の話し方をしないことを不思議がられたり、僕の容姿について人に聞かれるようになりました。僕の髪はどちらかというとストレートだったので、そのことを聞かれたりもしました。周りの人たちは、みんな僕が何者か知りたがっていたのだと思います。みんな僕に関心があるんだろうな、と思ったので、そのことを嫌だとは思いませんでした。僕に興味があったのでしょう。大学に入るまでは、自分が他の人と違うことに気づきもしませんでしたが、しばらくして、他の人たちと僕が違って見えることは自分だけの特徴だと思うようになりました。僕は、2つの文化の最も良い部分を受け継いでいると思うし、その二つを融合させることで、僕の人生の質は高められていると考えています。
日付: 2000年2月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ジョニー・ジェームス・モートンJr.(ジュニア)は1971年にカリフォルニア州イングルウッドでアフリカ系アメリカ人の父と日系アメリカ人の母のもとに生まれました。子供の頃はガーデナの日本語学校へ3年間通いました。カリフォルニア州のトーランスで育った彼は、南カリフォルニア大学のトロージャンフットボールチームで優れた経歴を残して卒業しました。ナショナルフットボールリーグ12年のベテランとして、現在はサンフランシスコ・フォーティーナイナーズでワイド・レシーバーとして活躍しています。また、モートン氏はモデルや俳優としても活躍しており、映画『ザ・エージェント(原題:Jerry Maguire)』にも出演しています。(2005年8月10日)
自分が誰であるかを主張する権利(英語)
映画製作者・アーティスト(1965年生)
あなたにとって、日系が意味するものは?(スペイン語)
ジャーナリスト(1937生)
日系コミュニティのサポート (英語)
プロフィギュアスケート選手。オリンピック金メダリスト。(1971年生)
日系アメリカ人というアイデンティティ意識の高まり (英語)
弁護士(1955年生)
カリフォルニア州ガーデナで育まれた順応性と競争心 (英語)
弁護士 (1946年生)
歴史の重要性を考える (英語)
次世代の人々へ (英語)
教師(1937-2021年)
波風を立てるな (日本語)
JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長
今後すべきこと (日本語)
ハーフ日系(スペイン語)
二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)
日系であることの利点(スペイン語)
それでも、日本人 (英語)
音楽家 (1922年)
ワシントン州イーナムクローでの日系を恥じた幼少期(英語)
CWRICに関わった唯一の日系判事
収容所体験の影響 (英語)
アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)
『ニッケイ』という言葉について (英語)
音楽家、芸術家、教育者(1949年生)