ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/803/

農工学校を通じてノウハウを次世代へ

あのね、まぁ学校で、もともと学校を始めたのはですね。私の50年間の、とにかくこれだけ儲かったと。これだけの自由ができるようになったと。その儲けばっかしではないんです。事業ができるようになったということがですね。なんかノウハウがあるはずだと。で、私も年ですから、もう何年かすりゃしなけりゃいかんと。さよならしてしまえばですね、土の中入ったらノウハウも何にも使えないと。その土の中に入る前にですね、できるだけ若い人、そのノウハウを伝えておきたいと。これがだいたい私願なんです。これから先、我々もう子供たちに任せてますから、子供たちが何しなきゃいけないですけどね。しかし、できるだけ新しい方面に研究していきたいと思っております。で、今までの機械じゃいけなくって、今度はもっと進歩した機械を作っていきたいと思っております。


農業 教育

日付:

場所: ブラジル

提供: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.

語り手のプロフィール

西村俊治氏は、1932年21歳の時、日本の経済状況をみかね、新天地を求めブラジルへ移住を決意しました。移住当初は、持ち前の忍耐を持って耕地で働きました。まもなくして1年間学校へ通うのに十分な資金もたまり、サンパウロ市へ上京しました。その後、ブラジルの工場を転々とし、最終的にはポンペイアへ落ち着きました。

西村氏は、生活のためさまざまな職業を経験・挑戦してきました。農機具の特許取得がきっかけに、JACTOグループを創設しました。当時のブラジルは海外からの農機具に頼っていましたが、輸入品よりも質のよいものを提供しようと、農機具の開発に力を注いできました。JACTOグループがここまで大きくなったのは、ブラジルのおかげと、職業訓練学校を設立しました。農機具の開発だけでなく、それをうまく使える技術者を育てることが、国の発展の第一歩であるとし、農業専門家を育てるのに力を注いできました。(2007年6月22日)

Emi Kasamatsu
en
ja
es
pt
エミ・笠松

日系人のパラグアイ農業へ貢献 (スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

en
ja
es
pt
Michie Akama
en
ja
es
pt
赤間みちへ

ブラジルに日本様式の女学校を開校

一世。ブラジル女性教育の先駆者

en
ja
es
pt
Masao Kinoshita
en
ja
es
pt
木下正夫

苦学生としてのサンパウロでの生活

負け組みの主要メンバー

en
ja
es
pt
Sakaye Shigekawa
en
ja
es
pt
サカエ・シゲカワ

喜んで医学校へ送り出してくれた両親 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

en
ja
es
pt
Sakaye Shigekawa
en
ja
es
pt
サカエ・シゲカワ

良い助言を受けて (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

en
ja
es
pt
Paulo Issamu Hirano
en
ja
es
pt
パウロ・イサム・ヒラノ

日本に移住して苦労したこと

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

en
ja
es
pt
Ryoichi Kodama
en
ja
es
pt
児玉良一

耕地での経験

笠戸丸移民

en
ja
es
pt
Hideto Futatsugui
en
ja
es
pt
二木秀人

ポルトガル語の試験

一世教育者(1911年生)

en
ja
es
pt
Hideto Futatsugui
en
ja
es
pt
二木秀人

ブラジルでの日本語教育

一世教育者(1911年生)

en
ja
es
pt
Toshihiko Seki
en
ja
es
pt
関利彦

金の卵を育てる

寿司職人(1962年生)

en
ja
es
pt
Isao Taoka
en
ja
es
pt
田岡 功

移住地教育とパラグアイへの思い

パラグアイ駐日大使(1943年生)

en
ja
es
pt
Edward Toru Horikiri
en
ja
es
pt
堀切 エドワード・徹

最も運に恵まれた一世(英語)

帰米二世(1929年生)

en
ja
es
pt
Susumu “Sus” Ito
en
ja
es
pt
ススム・“スス” ・イトウ

復員兵援護法を利用して博士号を取得(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

en
ja
es
pt
Tom Yuki
en
ja
es
pt
トム・ユキ

野菜の栽培と出荷の共同会社を立ち上げた父(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

en
ja
es
pt
Tom Yuki
en
ja
es
pt
トム・ユキ

朝鮮戦争での戦闘参加を避けるため、ヨーロッパでの任務を希望(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

en
ja
es
pt