ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/680/

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜査 (英語)

(英語) FBIは早朝かなり早い時間にやって来て、母がドアを開けたんですね。そしたら彼らは、乱暴にではありませんでしたけど母を押しのけて家の中にすごい勢いで乗り込んできたんです。そして父を揺り起こし2階に上がって行ったので、母は2階にいる姉たちに向かって、服を着なさい!と叫んだんです。というのも、姉1人は(家の中を)裸で走り回るのが好きだったんですよ(笑)。そしたら、どうやらFBIの人たちは母が何かの暗号を2階に向かって言っていると思ったらしく、銃を取り出し階段を急いで駆け上って行ったんです。彼らは姉たちの部屋にいきなり入り込んで自分たちの銃を見せ、「君たちの父親はこういう物を持ってるか?」と言って、今まで銃を見たことがあるかどうか聞いたんですね。姉たちはおもちゃの銃しか見たことがない、と答えたそうです。姉のうち1人は、FBIが砂糖壺や米びつの中にまで手を突っ込んでいたのを見て、「汚いなあ」と思ったそうです。それからクローゼットの中も片っ端から探って行ったそうですよ。


第二次世界大戦

日付: 1998年5月27日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: ロリ・ホシノ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

マコ・ナカガワ氏は、1937年2月ワシントン州シアトルで生まれた日系二世の女性です。戦前の幼少時代を同地で過ごしますが、(戦争が始まると)ワシントン州ピュウアラップの集合センター、アイダホ州ミニドカの収容所、テキサス州クリスタル・シティの収容所に収容されました。戦後は教諭、学校長となり、その後ワシントン州公立教育指導局長のもと多文化研究のスペシャリストとして従事。そして全米初の多人種教育プログラムである、Japanese American Cultural Heritage Programおよびレインボー・プログラムを展開し指導しました。2021年4月4日、84歳でお亡くなりになりました。(2021年7月)

ペギー・ニシムラ・ベイン

ツールレイク収容所での貝殻による手工芸品作り(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の救急ステーションでの仕事(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

収容所への442連隊の兵士の訪問(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦後の東京(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦後の人々の変化(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

9/11後のアメリカの雰囲気について(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)