ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/653/

白人家庭に受け入れられて(英語)

(英語)私は、(妻の)家族に会うことがかなり不安でした。なぜかというと、妻の一番上の兄は、戦時中日本の戦闘機に撃ち落とされ、太平洋で助けられましたが、その時の怪我の影響で子供を持つことができなくなりました。彼は長男で、私の父より1つ年下でした。でも彼は、私が知る中で誰よりも愛情深い人でした。義母は少し難しかったですが、私と彼女の誕生日が同じ11月10日ということもあって、最終的には私を息子同然に想ってくれるようになり、バースデー・ボーイと呼んでくれるようになりました。初めて会いに行った時は大変でしたが、皆と会うことができて楽しかったです。いろんな話をしましたし、素晴らしい訪問でした。2回目に会った時は、お互いを100パーセント受け入れていました。婚約パーティはボストンで行い、結婚式はホノルルの日系商工会議所で行いました。


ボストン 家族 ハワイ マサチューセッツ州 多人種からなる人々 アメリカ合衆国

日付: 2006年6月1日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

コバヤシグループ株式会社(Kobayashi Group LLC)の創設者、バート・A・コバヤシ氏は1944年11月10日にハワイ州ホノルルに生まれました。日系アメリカ人3世で、両親共にハワイ出身です。コバヤシ氏が19歳の時、父アルベルトが病に倒れ、父の経営していた建設会社を突如継ぐことになりました。当初は経営に四苦八苦していましたが、後に経営のコツをつかみ、ハワイ最大の建設会社まで成長させました。1997年にはこの建設会社を社員に売り、後にKobayashi Development Groupを創設します。定年まで会長を務め、現在は息子のBJ・コバヤシを社長とし、自らは顧問を務めています。また、ハワイ大学財団創設といった彼の慈善事業はハワイでもよく知られており、数々のコミュニティや教育機関の理事としても活躍しています。 (2007年3月1日)

大友 八郎

アメリカで直面した偏見

溶接業を営む新一世(1936年生)

ジョージ・タケイ

ジョージの母とブラッド(英語)

俳優、活動家(1937年生)

ウィリー・イトウ

両親(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

大友 八郎

娘が日本になじめず、再度アメリカ行きを決意

溶接業を営む新一世(1936年生)

ロバート・T・フジオカ

アメリカ軍に捕らえられた祖父(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)

ロバート・T・フジオカ

日系人としてハワイで育つ(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

二宮 正人

奥様とのなれそめ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。