ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/542/

強制収容所での思い出(英語)

(英語) 強制収容所にいた頃僕はまだとても小さかったので、どこでも遊びたいところで遊ばせてもらえたんです。僕らがすることと言えば、遊ぶことだったんです。収容所中あちこち散策したりして、父に恥をかかせてしまったこともありました。父はそのブロックの火災警備員をやっていたんですが、僕らはマッチで遊んでいで間違えて貯水槽に火をつけてしまったんですよ。でも僕が覚えているのはそれくらいで、とにかく楽しかったですね。

あと、覚えているのは、年齢と性別によって別々に食事を取っていたことですかね。だから今でも僕の世代は家族みんなで食事することに、本当は違和感があるんだと思います。当時から習慣として残っているんでしょうね。母は、ラム肉の料理は作らないんですが、金曜日は食堂のメニューはラムシチュー、子羊のシチューだったんです。羊はずいぶん油っぽくてね。だから僕は大学に入るまでそれがラムだってことを知らなかったんですよ。


投獄 監禁 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2004年12月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マサオ・コダニ開教使は浄土真宗の三世の僧侶で、アメリカで2番目に結成された初の日系アメリカ人仏教徒による太鼓グループ、緊那羅(きんなら)太鼓の共同創設者です。

コダニ開教使はカリフォルニア州グレンデールで生まれ、第2次世界大戦中はポストンの強制収容所に家族とともに収容されました。戦後、彼の家族はロサンゼルスへ戻り、ワッツと呼ばれるアフリカ系アメリカ人の多い地域へ住みました。彼の家族は仏教徒でしたが、彼の両親は子供たちが社会に簡単に馴染めるようにと東ロサンゼルスのエバグリーン・バプティスト教会へ通わせました。 コダニ氏はセンテニアル高校を卒業後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校へ進学し、東アジア研究の学位を取得しました。在学中、西本願寺のアート・タケモト開教使と親密になり、彼の影響を受け、仏教を勉強するために日本の龍谷大学へ留学をしました。日本で学業を終えた後、アメリカへ戻り、サウスセントラルロサンゼルスの洗心仏教寺に配属されました。 1969年、さまざまな経験を通して、法楽、すなわち仏陀・達磨を楽しむことを目的に、日系アメリカ人仏教徒による組太鼓グループ緊那羅太鼓をお寺のメンバーとともに結成しました。彼らの曲『阿修羅』はアメリカの太鼓レパートリーの中で最もよく使われる練習曲のひとつです。(2004年12月3日)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ベン・サコグチ

キャンプから帰ってきて

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家