ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

ウェイン・シゲト・ヨコヤマ (横山 茂人)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

唯一の日本文化:食べ物(英語)

(英語) 僕の両親は日本語で会話していました。母は英語の文章に日本語の単語を乗せて話していたんです。でも両親とも、僕たち子供には日本語で話しかけたり、日本語の勉強を強いることはありませんでした。その理由の1つは、日本語学校に僕らを通わせるほど裕福ではなかったことと、一家が日本に帰ることはないだろうから日本語を学ぶ必要はないだろうと父が判断したこともあります。そんな感じでしたから、日本の伝統に触れる機会はほとんどありませんでした。

父がハワイ出身ということもあって、お米はよく食べていましたけどね。僕らはご飯をスパゲティに添えたり、とにかく何とでも一緒に食べていましたね。ビーフシチューとご飯だったり、なんでもご飯と一緒に食べていて、お米は毎回食卓に上っていましたが、それはハワイの食文化だったと思います。食に関すること以外は、強いて日本的なものは特別ありませんでした。


文化 家族 Finding Home(映画) 食品 アイデンティティ

日付: 2003年11月13日

場所: 日本、京都府

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

ウェイン・シゲト・ヨコヤマ氏は1948年にハワイで生まれました。両親は帰米2世でしたが、ウェインに日本語を学ぶことを強要しませんでした。彼は7歳の時にカリフォルニア州の東ロサンゼルスへ引っ越しました。ルーズベルト高校を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校に進学しましたが、1年後に南カリフォルニアへ戻り、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校に新たに通い始めました。

日本へ行くことを考え始めたのは彼が31歳の時です。当時アメリカはベトナム戦争を行っており、徴兵されるのが嫌で、日本で仏教を勉強する決心をしたそうです。日本で修士課程卒業し、その後20年以上もの間、英語の仏教誌『Eastern Buddhist』を発行する雑誌社で働いていました。しかし、この雑誌社が大学の傘下に入ったのをきっかけに雑誌の仕事をやめ、それ以来自らの研究に取り組み、論文を出版することに専念しています。彼は日本人女性と結婚して、娘と息子がいます。彼は京都に住んでいます。(2003年11月13日)

ミシェル・ヤマシロ

本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

共感する米国的な価値観(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ファン・アルベルト・松本

エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

二宮 正人

奥様とのなれそめ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。