ディスカバー・ニッケイ

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民族研究とのかかわり (英語)

(英語) 民族的経験に関するクラスならどんなクラスでも受講したい、という生徒の強い要望があったので、社会科学部の学部長が、民族的経験に関する新しいクラスのひとつに私を講師として迎えました。その時の私はアフリカから帰ってきたばかりで、今まで(学校で)何が起きていたのか良くわかりませんでした。ですから学部長が「Behavioral Social Science School on Ethnic Experience」のコースのスポンサーになるから(講師をお願いします)と言ってきたとき、私は「わかりました、では私がそのクラスを受けましょう」と返事をしたのです。


教育 民族研究

日付: 2004年1月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジェームス・ヒラバヤシ氏は、20世紀初期に米国北西部太平洋岸に移住した勤勉な農民の息子として生まれました。1942年、当時高校3年生だったヒラバヤシ氏は、パインデール集合センターに一時的に拘留されましたが、その後北カリフォルニアのツールレイクの収容所へ移送、抑留されました。

第二次世界大戦後、シアトルのワシントン大学で人類学の文学士号(BA)と文学修士号(MA)取得し、その後ハーバード大学で博士号(Ph.D)を取得しました。現在はサンフランシスコ州立大学の名誉教授であり、合衆国で初めて設立された民族研究学部の学部長を務めました。そのほかにも、東京大学やアルバータ大学(カナダ)、アーマド・ベロ大学(ナイジェリアのザリア)での研究・教歴を持っています。

ヒラバヤシ氏は、2012年5月1日、85歳で亡くなりました。(2014年6月)

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

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